物語には「緩急」が必要
2015年 07月 11日
ここ数日、二人の生徒さんのレッスンで同じ指摘をした。
まず一人目。活劇シーンに入ってから、駆け足で物語が続くのだが、大量に人が死んでいき、読者の心に「また死ぬの?」といった「慣れ」が生じてしまう。
書き手の心理としては、手を緩めては読者がつまらなく感じないだろうか?アクションをたたみかけたい、という気持ちかと思う。
次の生徒さんは、物語の第二章に入り、第一章で登場した人物たちの背負った「業」が少しずつ、キャラクター達や読者に共有されていく話を描写の中で語っていく章である。
静かな章で、書いていて、読者はつまらなくないだろうかと書き手として不安になった、と言うことなのだ。
お二人とも書き慣れていないからこそ起きる不安である。
物語には「緩急」が必要なのだ。跳躍するためには、まずかがまねばならない。
最初の生徒さんは不安から「急」だけになり、二人目の生徒さんは「緩」を書いていることに不安になったわけだ。
「緩」のシーンは、物語の中では次のドラマティックな展開に必ず必要な展開である。二人目の生徒さんは、準備稿の段階で「緩」の章にあった暴力シーンを削ってきた。これは、とってつけたようなシーンだったので、もし残っていたら私が指摘しようかなと思っていたのだが、ご自身で「必要ないシーンとしか思えなくなった」と削ってきたのだ。
よくぞ気づいた、生徒君。
実際に小説を書いていくと、この語りの「緩急」がわかってくる。
物語は、読者を「誘い、じらし、満足させる」の繰り返しで転がしていく。
「緩急」の「緩」とは、まさにこの「じらし」に他ならない。この「じらし」の間に、より「サプライズ」させるための仕掛けをしたりするわけだ。
ただ、読者を「じらす」ように書いている時は、作者もやっぱりじれている。早く次を書きたくて仕方ないわけである。
小説指南 | Cyta.jp
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作者・栗林元は小説を書いています。よろしければお読みください。(Kindle版です)
1988 獣の歌/他1編
神様の立候補/ヒーローで行こう!
盂蘭盆会●●●参り(うらぼんえふせじまいり)他2編薔薇の刺青(タトゥー)/自転車の夏
まず一人目。活劇シーンに入ってから、駆け足で物語が続くのだが、大量に人が死んでいき、読者の心に「また死ぬの?」といった「慣れ」が生じてしまう。
書き手の心理としては、手を緩めては読者がつまらなく感じないだろうか?アクションをたたみかけたい、という気持ちかと思う。
次の生徒さんは、物語の第二章に入り、第一章で登場した人物たちの背負った「業」が少しずつ、キャラクター達や読者に共有されていく話を描写の中で語っていく章である。
静かな章で、書いていて、読者はつまらなくないだろうかと書き手として不安になった、と言うことなのだ。
お二人とも書き慣れていないからこそ起きる不安である。
物語には「緩急」が必要なのだ。跳躍するためには、まずかがまねばならない。
最初の生徒さんは不安から「急」だけになり、二人目の生徒さんは「緩」を書いていることに不安になったわけだ。
「緩」のシーンは、物語の中では次のドラマティックな展開に必ず必要な展開である。二人目の生徒さんは、準備稿の段階で「緩」の章にあった暴力シーンを削ってきた。これは、とってつけたようなシーンだったので、もし残っていたら私が指摘しようかなと思っていたのだが、ご自身で「必要ないシーンとしか思えなくなった」と削ってきたのだ。
よくぞ気づいた、生徒君。
実際に小説を書いていくと、この語りの「緩急」がわかってくる。
物語は、読者を「誘い、じらし、満足させる」の繰り返しで転がしていく。
「緩急」の「緩」とは、まさにこの「じらし」に他ならない。この「じらし」の間に、より「サプライズ」させるための仕掛けをしたりするわけだ。
ただ、読者を「じらす」ように書いている時は、作者もやっぱりじれている。早く次を書きたくて仕方ないわけである。
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作者・栗林元は小説を書いています。よろしければお読みください。(Kindle版です)
1988 獣の歌/他1編
神様の立候補/ヒーローで行こう!
盂蘭盆会●●●参り(うらぼんえふせじまいり)他2編薔薇の刺青(タトゥー)/自転車の夏
by hajime_kuri
| 2015-07-11 23:01
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