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by hajime_kuri

宗教団体と映画、「君のまなざし」

宗教団体と映画についての雑感

先日「君のまなざし」を見てきた。
昔から、宗教団体が映画製作をすることは珍しくはなかった。
創価学会の「人間革命」をはじめとして、日蓮宗の監修した「日蓮」などのように、監修・協力が主で題材もストレートな教主もの。

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この映画が面白いのは、一見そんな従来の宗教団体映画とは無縁な印象であること。
そしてその「同時代性」だ。
人は「正義対悪」の二元論に陥りやすく、敵対する相手を滅ぼすために「憎悪」を煽って仲間を増やす。
「テロの連鎖」や洗脳的な「少年兵教育」などを絶つことこそが現在の人類の課題である。
エンタメの「スター・ウォーズ」でさえも、愛する家族を守るためという崇高な目的のために逆に「暗黒面」に堕ちるという形でそれを描いている。
これが同時代性である。

君のまなざし」の中でも、道円という霊能者が、憎しみで鬼になってしまうのだが、「許す」ということを「頭ではわかっているけど、心が追い付かないのだ」と叫ぶシーンがあり、おお「同時代性をわかっているな」と思わされた。

エンタメ色を保ってはいるが、そこはやはり万人にわかりやすく描くことで、どうしても教義色が出てしまう部分がある。
「啓蒙色が強くなる」のである。これを庶民的な言葉で言い換えると「説教臭い」ということね。
そこが残念と言えば残念だ。
さらに手厳しいことを言えば、登場人物たちの心の動きやバックグラウンドが「類型的」であること。
健太が立花と自殺した息子のことで争うシーンなど、それまでの健太の行動や考え方からは不自然で、ストーリー進行に合わせて「作った感情だな」という気がした。
健太というキャラが朝飛と道円という人物の「観察者」としての役割で終始してしまっているのも残念だ。朝飛と道円こそが悩み煩悶する人物だから観客はこっちに感情移入すべきなのだ。
これでは観客の共感は得られにくい。
大多数の観客は、自分を「霊能者や治癒者」ではなく「治癒されるべき人」と意識しているからだ。「自分を治癒し、絶望せずに立ちあがるのは、自分自身だ。神様はそれを見守っている」というメッセージを「剣の一振り」ではない形で観客に伝えるべきだろうな、と作家的には思った。
これを映画作品として完成させるならば、言葉で「説明」している部分を、「暗示」や「兆し」のような形で観客に「気づかせる」程度にしておくことかなあ。


小説「君のまなざし」


薔薇の刺青(タトゥー)/自転車の夏・栗林元
小説指南・栗林元
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by hajime_kuri | 2017-10-20 20:59 | 映画 | Comments(0)