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「読書記録」を中心に、読んだ本、見た映画の記録、書評、ブックガイド、その他日常の徒然ね。


by hajime_kuri

ハッピーエンドとカタルシスについて考えたこと

この記事は、Gun0826さんのブログにトラバしました。
こういう創作に関することを考える機会を与えていただける良ブログです。
試みに

ハッピーエンドとは、物語などが、幸せな結末を迎えることである。
カタルシスとは、物語などを読み終えた後に感じる、一種の爽快感である。
物語世界への感情移入が行われることで、日常生活の中で抑圧されていた感情が解放され、快感がもたらされること。
特に悲劇のもたらす効果としてアリストテレスが説いた。浄化。
つまり、ハッピーエンドはカタルシスにつながりやすいが、必ずしもカタルシスはハッピーエンドではないということである。というようなことをはじめて考えたのは今を去ること20年ほど以前のこと。
当時、社会人として営業職について、一日中、得意先を回り、販路拡大のために飛び込み営業をしていた頃のことである。
ちょうど笹沢佐保の「木枯らし紋次郎」シリーズが、春陽堂から文庫で出始め、夢中で読んでいた時である。
さらに遡る事10年ぐらい前が、テレビドラマ化もされた同シリーズのブームなのであるが、それを辿るようにして活字作品として読んだのである。
物語は掛け値なしに面白い。しかし、救いがない。紋次郎はいつも巻き込まれる形で争いの渦中に立ち剣を振るう。そしておおむね誰からも感謝されず、自ら身を引いて旅に戻る。
この救いのない物語がなぜ、こんなにも読者にカタルシスを与えるのだろうかと考えた。
そして、これはストーリーのカタルシスではなく、物語を貫く美学のカタルシスであろうと気づいた。紋次郎は、「寡黙」で「泣き言を言わない」し「孤独を恐れず、我慢強い」、たとえそれが虚無感からくるものであろうとしても、それは日本人の美意識にとって「美しい」態度なのである。そして、当時の主たる読者であるサラリーマンのお父さんたちは、紋次郎の後姿に、自分たち企業戦士と同じものを感じたのではないか。
家族からすら亭主元気で留守がいい、と言われる父さんたちは、紋次郎に自分を重ねて、ひっそりと自分に対して胸を張っていたのである。
これもまた、物語のカタルシスといってよいのであろう。

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作者は小説を書いています。よろしければお読みください。(Kindle版です)

1988 獣の歌/他1編

神様の立候補/ヒーローで行こう!
by hajime_kuri | 2005-12-15 09:57 | エッセイ