「読書記録」を中心に、読んだ本、見た映画の記録、書評、ブックガイド、その他日常の徒然ね。


by hajime_kuri
 小説の語りでは一人称と三人称がある。これに関しては「1人称、3人称、神の視点」で説明した。基本的に一章、一段落などの間でこの人称が混在することはないし、混在すると物語が支離滅裂になって理解不能になる。
 では次の例文を読んでみよう。拙著「不死の宴・第一部・終戦編」の第九章の一部である。終戦の夜、秘密研究の関係書類を処分するシーンだ。

以下引用---

 竜之介は自分の研究室へ入ると、一人で、処分する書類を集めはじめた。私物の類はすべて昨夜のうちに処分していた。古文書は諏訪神社と諏訪神党に隠匿を依頼してある。すでに本棚にはいくつも隙間が開いていた。さらにそこから焼却する資料を抜いていく。
 北島や西城たち、実験兵の身元関係資料の公式記録である。彼らの存在は、記録からも消えてしまうのである。
 資料に目を落とし、竜之介は四人の顔を思い浮かべた。
 初めて彼らを迎えにいった時、彼らが分室に集まった二年前の晩秋の頃を思い出した。北島のジョークや、東郷のきまじめな表情や、南部の剽軽な笑顔や、西城の恥ずかしそうな照れ笑いを思い出した。彼らを慕うみどりの笑い声を思った。
 記録から消えても、彼らがいたことだけは事実だ。忘れまい。忘れるものか。

以上引用---

 淡々とした三人称の語りの中に、突如、挿入された一人称的表現。最後の行の、”忘れまい。忘れるものか。”は、本来なら、”忘れまい、忘れるものか、と竜之介は思った。”と語られるべきなのだが、それを略して一人称のモノローグのようにしたことで、ぐっと読者の心に刺さるのである。
 ただし、これは頻繁にやってはいけない。「ここぞ」という場面に使う表現である。それでこそ効くのだ。
 また、これは作者が登場人物の竜之介の心情にすっかり憑依されている証拠でもある。これを書いている時、私は北島や東郷や西城やみどりたちの、この物語以後の運命を思い、すでに続編を書く気持ちを持っていた。
 ”忘れまい。忘れるものか。”という竜之介の言葉は、「必ず続編を書き、おまえ等の運命を見届けてやるからな」という作者(私)の密かな決意表明でもあるのだ。

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# by hajime_kuri | 2017-12-01 20:23 | 小説指南 | Comments(0)

  1. 派遣社員は各種の職場で働いている。職場ごとにローカルルールは違う。それを乗り越えるためにマニュアルが必要なのだ。一つの職場しか知らない正社員が「当たり前」と思っていることが、他の職場でも当たり前であるとは限らない。
    大手の企業では、「融通を利かして自己判断すること」が、大失敗に結びつくことも珍しくない。
    だからマニュアルを順守させる。マニュアルは派遣社員の立場を守るものでもあるのだ。
    私は三社で派遣を体験したが、タクシー会社のコールセンターで、その前にいた大手メーカーと比較して顧客の個人データに関する扱いが鷹揚すぎてあきれた覚えがある。
  2. ...
  3. 俺(派遣)「お客は自分の着信番号が表示されていること、その番号と過去履歴から自分の名前が把握されていることを知っているのですか?」
    正社員「はあ、なんで?」
  4. その職場の派遣は、大手の通信会社や自動車メーカーのコールセンターを体験しているので、そういった過去の職場と現在の職場を比較して考える。
  5. さらに大企業は、個人の技量ではなく仕事の「カイゼン」で職場の効率を上げていく。一方、中小企業や個人企業は、個人の技量に頼り切る。
    私の派遣先では、キーボードの文字がかすれて消えていたが何度言っても取り換えてもらえなかった。「ブラインドタッチできるなら問題ない」と。そのくせそのキーボードが日本語キーボードなのである(苦笑)
    その前の派遣先では、アルファベットだけの標準キーボードだが、文字はかすれていなかった。ブラインドタッチではなく「ローマ字変換」に統一されていたのである。
  6. 気づいてほしい。派遣を小ばかにしている正社員さん、実は派遣社員から笑われているのはあなたの方ですよ。
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作者・栗林元は小説を書いています。よろしければお読みください。(Kindle版です)
不死の宴 第一部 終戦編
人生はボンクラ映画・西森元
1988 獣の歌/他1編・栗林元
神様の立候補/ヒーローで行こう!・栗林元
盂蘭盆会●●●参り(うらぼんえふせじまいり)他2編・栗林元

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# by hajime_kuri | 2017-11-15 09:45 | 時事 | Comments(0)

宗教団体と映画についての雑感

先日「君のまなざし」を見てきた。
昔から、宗教団体が映画製作をすることは珍しくはなかった。
創価学会の「人間革命」をはじめとして、日蓮宗の監修した「日蓮」などのように、監修・協力が主で題材もストレートな教主もの。

...

この映画が面白いのは、一見そんな従来の宗教団体映画とは無縁な印象であること。
そしてその「同時代性」だ。
人は「正義対悪」の二元論に陥りやすく、敵対する相手を滅ぼすために「憎悪」を煽って仲間を増やす。
「テロの連鎖」や洗脳的な「少年兵教育」などを絶つことこそが現在の人類の課題である。
エンタメの「スター・ウォーズ」でさえも、愛する家族を守るためという崇高な目的のために逆に「暗黒面」に堕ちるという形でそれを描いている。
これが同時代性である。

君のまなざし」の中でも、道円という霊能者が、憎しみで鬼になってしまうのだが、「許す」ということを「頭ではわかっているけど、心が追い付かないのだ」と叫ぶシーンがあり、おお「同時代性をわかっているな」と思わされた。

エンタメ色を保ってはいるが、そこはやはり万人にわかりやすく描くことで、どうしても教義色が出てしまう部分がある。
「啓蒙色が強くなる」のである。これを庶民的な言葉で言い換えると「説教臭い」ということね。
そこが残念と言えば残念だ。
さらに手厳しいことを言えば、登場人物たちの心の動きやバックグラウンドが「類型的」であること。
健太が立花と自殺した息子のことで争うシーンなど、それまでの健太の行動や考え方からは不自然で、ストーリー進行に合わせて「作った感情だな」という気がした。
健太というキャラが朝飛と道円という人物の「観察者」としての役割で終始してしまっているのも残念だ。朝飛と道円こそが悩み煩悶する人物だから観客はこっちに感情移入すべきなのだ。
これでは観客の共感は得られにくい。
大多数の観客は、自分を「霊能者や治癒者」ではなく「治癒されるべき人」と意識しているからだ。「自分を治癒し、絶望せずに立ちあがるのは、自分自身だ。神様はそれを見守っている」というメッセージを「剣の一振り」ではない形で観客に伝えるべきだろうな、と作家的には思った。
これを映画作品として完成させるならば、言葉で「説明」している部分を、「暗示」や「兆し」のような形で観客に「気づかせる」程度にしておくことかなあ。


小説「君のまなざし」


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# by hajime_kuri | 2017-10-20 20:59 | 映画 | Comments(0)
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性同一性障害の妹にハラハラする兄貴のお話。
軽妙な語りでライトノベル風なスタイルだけど、恋をするだけでも大変な彼女と彼らの気持ちが見事に描かれている。
でも、自分より魅力的な相手が現れたら、彼女は私から離れていってしまわないか?って不安感は、誰にでも共通の気持ちだよ。
モテね少年だった俺の気持ちの延長線上にLGBT(性同一性障害)の人らの気持ちもあるのだろう。そしてそれは、ずっと大変だろうけど、この兄貴の気持ちを読んでみんな理解できることだよなと思えた。
この兄貴の優しさは不器用だけど何気にかっこいいぜ。
ラノベ風のラブコメディだけどこれは立派に文学してる。「すばる」とかに載ってても不思議じゃない作品だった。

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# by hajime_kuri | 2017-08-15 19:04 | 青春 | Comments(0)
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これは身につまされた。作者の田中氏は会社員の傍らマンガ家をやっていて、仕事をしながらいつも「これは自分の本当の仕事ではない、力を発揮できていない」感を抱いて「うつ」になっていくのだが、これが私の経験と実に相似形。
私は会社員の傍ら小説を書き続けて、32歳の時にドラマ原作で佳作入選している。その後も会社員の仕事を続けていたが、どうにも自分の能力を発揮している感がなく、なぜもっとできないのだろうと自分を責め続けて「うつ」になっている。
このマンガルポで語られる「うつ」を抜けた方の経験がどれも「うんうん」と共感できる。
心のスイッチを切り替えるのは、自分を客観視して気づくことなのだ。
私はどれほど症状がひどい時も、どこかで自分の上空3メーターぐらいから自分を見下ろして観察しているところがあり、そんな作家目線が自分の「うつぬけ」につながっているのだと感じている。
会社をうつで辞めざるを得なかったのだが、今では「うつのおかげで会社を辞めるきっかけができた」と感じている。
私自身、その心の経過を「人生はボンクラ映画」というユーモア小説にしたぐらい。
「うつぬけ」は、うつに悩む人や予備軍だけでなく、管理職等にも読んでほしいマンガである。
うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち

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# by hajime_kuri | 2017-08-14 18:51 | エッセイ | Comments(0)
拙著、新刊ご案内。Kindle形式のみです。

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 昭和十八年八月、理化学研究所の若き病理学者・如月一心は長野県上諏訪町の陸軍第九技術研究所分室の「ミ号計画」に招聘された。
 「ミ」とは、諏訪地方に縄文時代から残るミシャグチ信仰に由来する。ミシャグチ神の血を受けた者は不老不死のヴァンパイアとなる。日本では古来より国難の際の「特別な兵」としてヴァンパイアの特殊能力を密かに継承してきた。
 「ミ号計画」とは、このヴァンパイアを使った「超人兵部隊」の研究だった。
 如月が分室で出会った守矢竜之介中尉と守矢公彦少尉、そして職員の守矢みどりの兄弟は、代々、神長官としてミシャグチの血の系譜を守り続けてきた守矢一族の末裔だった。ヴァンパイアは昼間は活動できないため守護者が必要なのだ。
 如月は、ミシャグチの血を継承する姫巫女・美沙(四百歳)と謁見する。彼女を診察しながら、不老不死や超人的筋力などの能力も、光過敏や食性変化(人血嗜好)と同じ風土病の「症状の一つ」であると感じる。
 一方、竜之介は全国から四人の実験兵を選抜した。中野学校二俣分校の西城真一。関東軍対ソ特殊部隊の南部陽兵。挺進大隊(落下傘部隊)の東郷隆。そして玉砕した部隊の唯一の生存者・北島晃。彼らは、姫巫女・美沙との契りを経てヴァンパイアとなる。
 昭和十九年七月、沖縄に試験配備された実験部隊の運命は? 
 そして終戦、姫巫女・美沙と守矢一族はミシャグチの血の秘密を守れるのか?
 守矢竜之介の実験部隊と日米陸軍との三つ巴の戦いの決着は?
 昭和から平成を生きた「不死なる者」たちの運命を描く、一大叙事詩が今スタートした。

目次
序章 不死の夜 昭和二十年五月
第一章 陸軍第九研究所諏訪分室 昭和十八年九月
第二章 常闇の系譜
第三章 選ばれし四人 昭和十八年十月
第四章 鬼神、覚醒す 昭和十九年一月
第五章 不死者たち 昭和十九年六月
第六章 ミ号実験部隊出陣 昭和十九年七月
第七章 忍び寄る危機 昭和二十年一月
第八章 実験隊全滅 昭和二十年五月
第九章 最後の戦い 昭和二十年八月
終章 不死の曙 昭和二十年十月



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# by hajime_kuri | 2017-08-11 22:33 | SF | Comments(0)
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 先日機会があってこの映画を見た。是枝作品は「誰も知らない」が印象深く、以前このBLOGでも記事化した。
 「海よりもまだ深く」は2016年5月公開の作品である。
 映画は、団地のアパートの一室で亡き父の会葬御礼を書いている長女(小林聡美)と老母(樹木希林)の会話から始まる。亡父が書の達筆な文化人風ではあるが生活力のない困った人だったことが語られる。
 そこへ長女と入れ違いにやってくる息子の良太(阿部寛)。島尾敏雄文学賞(架空の賞)を受賞した後、泣かず飛ばずの純文学作家である。小説のネタ探しと賞して現在は興信所の調査員をやっているが、離婚した妻に払う養育費にも事欠く有様だ。
 元妻(真木よう子)への未練捨てがたい良太。ギャンブル好きで調査費用をかすめて競輪にうつつを抜かす良太を後輩調査員の町田は慕っている。息子への愛情を忘れない良太に「父」を見ているのかもしれない。良太の「父」としての映画なのだが、町田は「息子」としての目線を担っているのかもしれない。父を知らずに育ったのかもと思わせる。
 月に一度の息子との日曜日に、家族は再びアパートの老母の元で一泊する。
 ばらばらになった家族を危ういところで緩やかにつなぎ止めている老母の存在の大きさを、樹木希林の押さえた演技が静かに伝えてくる。真木よう子の苦労を一番知っているのは、同じような男と夫婦になった樹木希林だからである。これを自覚している老母のいかに少ないことか。
 なりたかった大人になれなかった大人たちが、それでも折り合いをつけて人生を生きていく。
 映画は、台風がくる予報で始まり、台風一過の晴天の朝で幕を閉じる。危ういバランスをとりながら、それでも家族は生きていくのだと思わせてくれる。佳品である。
 阿部寛演じるところの篠田良太の造形に思わず苦笑。
 マイナーな文学賞を受賞した後、鳴かず飛ばずのまま50代になり、小説の取材と称して探偵業で糊口をしのぐが、子供の養育費にも四苦八苦。
 これが、テレビドラマの原作募集で佳作入選した後、鳴かず飛ばずで50代になり、小説のネタ探しだと自分に言い聞かせて苦情電話対応業で糊口をしのぐが、国保と年金の支払いにも四苦八苦、という俺自身の境遇とかぶりすぎていて、鏡に映った自分を見るがごとし。洒落になりません(苦笑)
 でも、そんな自分の人生を、「これもありだ」と思えるようになるのが大人なのであろう。俺も大人になったなあと思う。

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# by hajime_kuri | 2017-06-27 17:25 | 映画 | Comments(0)
昔、中島梓(栗本薫)女史の「小説道場」というラノベ・BL小説入門書があったのですが、その中に中島女史が「マンガ家志望だったが、その夢破れて小説を書いている」というくだりがあり、その気持ちに大いに共感したものである。
実は私も小説を書きだす前はマンガを描いていた。自分の中に、どのような娯楽小説であっても「書いている作家は文学少年で、若いころから文学作品を読んでいる」だろうなあという思い込みがあり、「俺には小説は無理」と思い込んでいたのである。
これは、私の父親が高校の国語教師であり、エンターテイメント小説を軽視していたことも影響している。
自分で「物語」を空想することが好きだった私は、なんとかそれを形にして他者に語りたい欲望が抑えきれず、マンガでそれを描き始めたのであった。
↓当時描いていた絵がこんなやつ。
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手塚治虫さんとか、さいとうたかおさんとか、白土三平さんとか、当時の日本マンガの各流派とは違う絵が描きたかったので、「ヘビーメタル」とか「1984」や、「CREEPY」などのウォーレンコミックスを模倣していた。
唯一完成させた作品が16ページの「暗黒美神(シスターダークネス)」という作品で、要はアメコミ。「パフ」誌に送って選外佳作ってのになっている。「16ページは短い」って講評だったが、だってこれアメコミなので16ページなんだよ、って気持ちだった。
ペン入れの途中で放り出してあるあたり、自分はやっぱりテキストの人だなと思う。
2時間かけて描いている情景を、口で説明したら15秒で済んでしまい、しかもそれがビビッドだったので、全部文章で語れば早いと思ったのが小説を書くきっかけだった。たまたま、手元に卒論用の原稿用紙が大量に余っていたせいもある(苦笑)。
また、同じ時期に、大友克洋さんや谷口ジローさんなどの「画力で勝負」する作家が次々と登場してきて、「じゃあ俺が描かなくてもいいや」って気持ちになったのも大きかった。
でも絵を描くのは楽しい。
今一番の望みは、小説で生計を立て、趣味でマンガを描くことである。

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# by hajime_kuri | 2017-06-16 15:12 | コミックス | Comments(0)
荒山徹「秘伝・日本史解読術」。これは、誰もが学校で習う日本史を、誰もが知らない方法で見直すだけで、こんなに発見があるのかということを教えてくれる本である。
荒山氏は伝奇的な作風の歴史小説の名手で、留学までして韓国・中国の歴史を学んだ30年来の韓国通でもある。韓国民の国民感情も熟知している。
この本では古代から近代までの日本の歴史を世界史の中でも位置づけて俯瞰して語っている。
印象的なのは「歴史は繰り返す」と、相似形のケースを折に触れ提示していること。
例えば、1875年の讒謗律(政府擁護のため文書や著作で官僚などの批判を禁止した)と2016年の「ヘイトスピーチ禁止法」が全く同様のものであると喝破する。デモ(どのような内容であれ)が2件禁止されたことを祝福するマスコミの論調に違和感を感じていた私はこの部分で、荒山氏は歴史の本質に気づいているのだと感じた。
氏は「歴史は取り扱い注意だ」と警鐘を鳴らす。明確な史料の隙間や空白に、人は「こうあってほしい」という願望や、「こうだと面白い」という作為を込めてしまう。フィクションならそれでよいが学問がそれでは困る。
現在の大韓民国の歴史では民族主義が跋扈していて、「優れた文化はすべて朝鮮から日本にもたらされた」「古代には朝鮮半島に大帝国があった」といった夢想的な、しかし韓国民には「気持ちいい」説がまことしやかに語られている。しかし、これは開国以降の大日本帝国が西洋列強と対峙するために万世一系の皇国史観を教育していくことと実に相似形だと感じる。

また私には、日清・日露と負け知らずだったにもかかわらず大敗した太平洋戦争後の、打ちひしがれて自虐的になった日本の世相や文化人の転向と、ベトナム戦争でシンプルな「世界の中の正義の味方」というセルフイメージを喪失したアメリカの世相やアメリカ人の脱力感が実に相似形に思える。
荒山氏は昭和36年生まれ。私は昭和33年生まれである。私はこの本で図らずも同じ世代の特徴を知った。

私たちの直前の世代は、本来なら教育や躾などで押さえつけてくる親世代が、敗戦による価値基準の崩壊で言葉を失っていることをいいことに、かなり野放図に育っている「戦争を知らない子どもたち」世代だ。「平和・人権・平等」原理主義的で、それに反する者にはヒステリックである。
彼らから遅れて生まれた私たちは、連合赤軍事件などで「権力と戦う正義の味方」が、結局は同調圧力で仲間を縛り旧軍の内務班さながらのリンチが横行する集団であることを知ってしまった。作品の中で戦中の思想犯やテロリストを英雄的に描く小説家が、開戦に際して万歳を叫んでいた自己嫌悪や戦争に反対できなかった贖罪や免罪符のような意識を抱いていることも知っている。
私たちの世代は、ようやくそのようなしがらみを持たずに戦争を直視できる世代なのだ。
昨年話題だった映画「この世界の片隅で」が、昭和の頃のような声高でヒステリックな「反戦映画」ではなく、戦時の日常を淡々と提示して観客に気づかせる作品になったのは、原作者と監督の世代がやはり私と同じ世代だからだと思う。
例えば私たちは、ゼロ戦の映画を作るために言い訳のように堀辰夫を持ってくるようなことは考えもしないのである。

この本は、歴史に材をとって小説作品を書く、そんな作家だからこその「気づき」に溢れている。そして同時に、時代小説と歴史小説のすぐれたガイドブックにもなっている。
面白かった。

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# by hajime_kuri | 2017-05-18 12:53 | 小説指南 | Comments(0)

麻雀は昔から小説やマンガのモチーフとしてよく使われてきた。
小説でいえば阿佐田 哲也の「麻雀放浪記」、マンガなら北野英明の「雀狂哀歌」がその嚆矢であろうか。
いずれも麻雀の対戦の場での心理戦や勝敗の綾を登場人物の人生のメタファーとして描き、深い感動を呼んだ。
そんなことを考えたのは、柄にもなく麻雀の戦術書「絶対に負けない最強麻雀戦術~進化を遂げた新デジタル戦術指南書~」を読んだからである。
「新デジタル戦術」ってところに興味をもって手に取ったのだが、ネットでのオンライン麻雀と街中のフリー麻雀を取り上げている。
かくいう私も昭和50年代に学生だったので、麻雀は嫌いではないし当時は下手ながら卓を囲んだこともある。最近はもっぱらゲームマシンで遊ぶ程度だ。
この書では、そんなへぼプレーヤー(俺)にとって目から鱗が落ちるようなワードが頻出し、豊富な写真で説明されている。
「勝つということは、負けないことだ」
「全ての局面で勝てないと仮定する」
「強い麻雀ではなく、巧い麻雀を目指せ」
「最初の6巡目に重要な牌を一点読み切り、捨ててしまう」
「水面ぎりぎりで、トップを追いかけていく」
かつての麻雀小説やマンガでの戦いが、相手を叩きのめすような熱い戦いのドラマであるならば、この本に書かれた戦術は、最後まで点棒を減らさない、気づいたら、必ず一位か二位になっている戦術書だ。
なんともクールな戦法で、このクールさこそが現代的だ。小説作品として描くなら、これこそが今現在の「同時代性」だと思った。
麻雀に限らず、「ゲーム」を人生のメタファとして描く小説や映画は傑作が多い。そんな作品、考えてみようかなって気持ちまでわいてきた本である。


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# by hajime_kuri | 2017-04-27 09:27 | ホビー | Comments(0)

違和感は上達の証

 小説を書き始めてしばらく立つと、自分の書いた文章を読み返して違和感を感じて筆が止まったり、首を傾げて考え込んだりすることが起きる。
 そんな違和感の一例を生徒さんの文章から見てみよう。
(例文)
 今の僕は、何も言えずに口を少し開けながら、ただただ何かを訴えるような目や表情で奥村を見つめていた。
 この文章から感じる違和感の原因は、語り手の「僕」が自分の様子をよく観察したように描いていること。つまり、「僕」という一人称で、三人称の描写をしていることが原因である。
 これが「僕」ではなく「伊藤」であれば違和感は皆無になる。
 どうしてもこのように描写がしたければ、壁に掛かった鏡に映った自分の様子をみて「僕」が「僕」を観る形にするしかない。
 何とか無理矢理リライトするとこうなる。
 今の僕は、何も言えずに奥村を見つめることしかできなかった。口を少し開けながら、ただただ何かを訴えるような目や表情で見つめられて奥村はどう思ったであろうか。
 自分を観たかのように想像して思ったことを書いたわけである。
 自分の書いた文章に違和感を感じたときは、レベルのステージを一つあがったと思ってよい。
 何かをつかんだことを「意識化」するチャンスなので、じっくり考えてほしい。

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# by hajime_kuri | 2017-04-08 15:56 | 小説指南 | Comments(0)
ペンネームで書いた私の作品である。
一部を抜粋。

内容紹介

 「今から録音を流します」
 手元のノートパソコンのマウスをクリックした。
 「ばかやろー!、上司を出せ!」
 静かな部屋に大音量の罵声が響きわたった。西本の両隣の二人がびくっと震えるのがわかった。当然、西本もびっくりしている。びっくりさせるための音量でもあった。
 罵声の合間に、恐縮したような「はい、はい」という相づちの声が聞こえてくる。情けない声だった。
 若い男はマウスをクリックして音声を停めた。そして西本たちを見渡すと言い放った。
 「みなさんが担当する電話は、このような電話です。この録音を聞いて、自分には無理だと感じた方は、ご遠慮なくお帰りください。無理に残られてもお互いの時間の無駄ですから」
 なるほど、これで人数を絞るのか、びくついて帰るような奴はお呼びでないと言うことなのだな、そう感じたとたん、西本の胸に「バカにしやがって」という怒りが湧いてきた。絶対に帰るものかと決めた。若い男の口調にも腹が立った。その口調の裏に「選ぶもの」の優越感を感じとったからだ。
 その時、左隣の四十男が「自分には無理だと思います」と言って立ち上がった。室内の全員に軽く会釈をすると、背を丸め、試合に負けた敗残者のように部屋を出ていった。
 ますます腹が立った。採用しないのはかまわないが、敗北感を抱かせて帰らせるなんて、どれほど上から目線なんだと思った。

 主人公・西本が二十八年勤めた東海エージェンシーを辞めたのは東日本大震災の年だった。うつ病の休職開けから三年目の春だ。
 すっかり世捨て人になった西本はハローワークで五十代求職者の厳しい現実に直面する。
 ようやくバイク便のライダーとして働き始めるのだが、そこは西本同様に心に傷を負った連中が集まっていた。
 やがて退職金も使い果たし、妻に懇願されて派遣社員として再就職に成功するのだが、そこは、メーカーの苦情電話担当という、とんでもない戦場だったのだ。
 漫画家くずれの元ライバルメーカー社員、音楽事務所社長、テレビタレントなど、奇妙な派遣相談員たちとの交流と、全国から電話をかけてくるクレーマーとの会話など、多くの出会いが西本の心を開いていく。 「うつで会社を辞めざるを得なかった」のではなく、「うつのおかげで会社を辞めるきっかけができたのだ」
 うつ病高齢者・西本のうつを抜けていく心の軌跡を、爆笑のエピソードで描いている。また、大手メーカーの苦情相談室がどのような職場かもわかる職業小説でもある。
 人生なんて「なんとかなる」、そんな気持ちでこの作品を読み終えてもらえれば、作者冥利につきる。
 ぜひ、読んでください。

薔薇の刺青(タトゥー)/自転車の夏・栗林元
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# by hajime_kuri | 2017-03-11 19:50 | 純文学 | Comments(0)