「読書記録」を中心に、読んだ本、見た映画の記録、書評、ブックガイド、その他日常の徒然ね。


by hajime_kuri

カテゴリ:評論( 4 )

「聞いたか坊主」

歌舞伎の『道成寺』や『鳴神』では、幕開きに坊主姿の役者が登場する。
「聞いたか、聞いたか?」
「聞いたぞ、聞いたぞ」
と、言い合いながら、客にストーリーを知らせておく。彼らを、「聞いたか坊主」という。
「説明的なせりふ」のことで、シナリオのセミナーや教科書では、絶対にやってはいけないとされている。
そういったセミナーで例として挙げられるのが、下記のような情景描写である。

喫茶店の窓辺でコーヒーカップを前にしたカップル。
女が男のカップに角砂糖を入れてやる。

「二つだったよね?」
(昔交際していたが、久しぶりに出会ったらしいとわかる)

「・・・・・。」
(無言の場合は、現在交際中)

「いくつですか?」
(初対面)

といった具合。情景の描写で前提や設定を語れということである。
よいシナリオほど、せりふが少ないなどとも言われます。
が、実は、このやってはいけない「聞いたか坊主」だけで、物語を進めてしまった例がある。

それはあの名曲、

「港のヨーコ、ヨコハマ、ヨコスカ」である。
宇崎竜童作曲、阿木曜子作詞。

ヨーコの行方を追って、色々な人から、ヨーコのうわさを聞いていく、その伝聞のせりふだけで、「ヨーコと主人公の物語」がドラマチックに語られるのである。

武道の技の習熟度に「守・破・離」という言葉がある。
「守」というのは、正しい形を守って練習することである。
「破」というのは、その上で試行錯誤することである。
そして「離」。
これは自分独自のスタイルを作り上げた段階である。
「港のヨーコ、ヨコハマ、ヨコスカ」は見事に「離」の段階の作品であろう。

何事につけ、「破」の段階を「楽しむこと」ができると、自然に「離」へ到るようである。



ダウン・タウン・ブギウギ・バンド ベスト EJS-6167
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by hajime_kuri | 2005-12-02 15:05 | 評論 | Comments(3)
1840年のアヘン戦争以来、日本は危機にどう対処してきたのか?
また戦後日本の光と影を語り、二十一世紀の日本の行方を探る。日本が誇る論客である、岡崎久彦と佐藤誠三郎による、十時間にも及ぶ白熱の討論。いまだかつてないユニークな見地から、日本という国家のかたちを二人が解剖していくその様は、スリリングとさえいえるほどである。
日本の歴史を、自虐からも美化からも離れた、極めて冷徹な目で見つめている。教科書やマスコミ報道などからは、わからなかった「なぜ」が、判る。受験科目で日本史を選択した人も、これを通読すると近現代史が、自然に頭に入ると思う。
一気に読んでしまった。

序章 歴史から何を学ぶか
第1章 日本が植民地化を免れ近代化に成功した理由(近代化の特徴と日本の成功理由
日本の対応は中国・朝鮮とどう違っていたか ほか)
第2章 民主化が行き詰まり軍部の政治化を招いた理由(第一次世界大戦後の国際関係の変化
日本の繁栄と孤立 ほか)
第3章 戦後日本の光と影(対日占領政策と戦後改革の評価
吉田政権から五五年体制へ ほか)
終章 二十一世紀・日本の行方

「日本の失敗と成功」岡崎 久彦
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by hajime_kuri | 2005-05-29 21:26 | 評論 | Comments(0)
a0003784_74447.jpg初夏の頃、自動二輪で立ち寄った信州のドライブインで、色とりどりに植えられた花にミツバチが訪れるのを1時間近くも魅入られたように見つめた覚えがある。特に虫好きな人間ではないが、後ろ足にいっぱい花粉を付け、せっせと花を巡るミツバチは、俺の感覚の中では、まちがいなく可愛いらしく感じる部類に入る。
古来よりハチミツは薬であり、高級な嗜好品であった。またミツバチの社会は、多くの学者や文学者の興味を引きつけた。まさにミツバチは単なる昆虫ではなく、神の使いであり癒しである。
養蜂の民族性。東西の文学に現われた人間とミツバチの関わりをさぐる、名著『ミツバチの文化史』の続篇らしい。内容は下記。実に面白かった。ミツバチを飼いたくなったほどである。

目次

第1章 シェイクスピアとミツバチ
第2章 経済学の誕生とミツバチ
第3章 ドイツ古典文学の中のミツバチ
第4章 現代ドイツ文学とミツバチ
第5章 メーテルリンクとミツバチ
第6章 ロシア文学の中のミツバチ
第7章 杜甫とミツバチ
第8章 日本古典文学の中のミツバチ
第9章 江戸時代のミツバチとハチミツ
第10章 浮世絵風の養蜂絵解き
第11章 "蜂群革命論争"始末記
第12章 日本近代文学の中のミツバチ
第13章 詩歌の中のミツバチ
第14章 現代文学の中のミツバチ

この本を読み終え、久しぶりにハチミツ食べたいなあ、と思っていたら、岐阜(日本の近代養蜂発祥の地である)の知人から香典返しに恐ろしく高級なハチミツをいただいてしまった(嬉)。こういう偶然をシンクロニシティと言うそうだが、ミツバチとハチミツ、やはり神様に由来するだけのことはある。今夜さっそく食ってやろう。
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作者・栗林元は小説を書いています。よろしければお読みください。(Kindle版です)

1988 獣の歌/他1編・栗林元

神様の立候補/ヒーローで行こう!・栗林元

盂蘭盆会●●●参り(うらぼんえふせじまいり)他2編・栗林元

薔薇の刺青(タトゥー)/自転車の夏・栗林元
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by hajime_kuri | 2004-05-20 07:45 | 評論 | Comments(0)
a0003784_232528.jpgティーン向けのいわゆる「キャラクター小説」の書き方を指南しつつ、エンターテイメント全般、ないしは物語についての論考を加えた文芸批評である。
「小説家志望者たちが小説家にうまくなれないのは、「私探し」と「小説を書く」という行為をうまく区別できないからのように思えます」
至言である。
物語の舞台や登場人物をどう設定するか。オリジナリティ、「おもしろさ」とは何か。実に実践的な、みるみる書ける小説入門でもある。
でも個人的には、親切に書きすぎるよ、というところ。
ここに語られるような内容やアドバイスは、いずれも作品を創るという実践で、すぐに「体得」していくものであり、あえて教えてもらわなければならないほど、ストーリーテリングに難がある人は、もともと小説を書くと言うことには向いていないのだ、と言い切ることもできるからだ。
小説を書きたいと言いつつ、なかなか第一作が書き出せない人、その多くは、小説が書きたいということと、小説を書く人になりたいということの区別ができないからのように思える(ちょっと残酷か)。
内容は下記目次を参考に。

目次

第1講 キャラクター小説とは何か
第2講 オリジナリティはないけれどちゃんと小説の中で動いてくれるキャラクターの作り方について
第3講 キャラクターとはパターンの組み合わせである
第4講 架空の「私」の作り方について
第5講 キャラクターは「壊れ易い人間」であり得るか
第6講 物語はたった一つの終わりに向かっていくわけではないことについて
第7講 テーブルトークRPGのように小説を作る、とはどういうことなのか
第8講 お話の法則を探せ
第9講 「世界観」とはズレた日常である
第10講 主題は「細部」に宿る
第11講 君たちは「戦争」をどう書くべきなのか
最終講 近代文学とはキャラクター小説であった

単に創作のメソッドというだけでなく、マーケティングなどにもヒントになるようなことが多い本である。
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by hajime_kuri | 2004-05-13 23:26 | 評論 | Comments(2)