「読書記録」を中心に、読んだ本、見た映画の記録、書評、ブックガイド、その他日常の徒然ね。


by hajime_kuri

カテゴリ:小説指南( 76 )

 小説の語りでは一人称と三人称がある。これに関しては「1人称、3人称、神の視点」で説明した。基本的に一章、一段落などの間でこの人称が混在することはないし、混在すると物語が支離滅裂になって理解不能になる。
 では次の例文を読んでみよう。拙著「不死の宴・第一部・終戦編」の第九章の一部である。終戦の夜、秘密研究の関係書類を処分するシーンだ。

以下引用---

 竜之介は自分の研究室へ入ると、一人で、処分する書類を集めはじめた。私物の類はすべて昨夜のうちに処分していた。古文書は諏訪神社と諏訪神党に隠匿を依頼してある。すでに本棚にはいくつも隙間が開いていた。さらにそこから焼却する資料を抜いていく。
 北島や西城たち、実験兵の身元関係資料の公式記録である。彼らの存在は、記録からも消えてしまうのである。
 資料に目を落とし、竜之介は四人の顔を思い浮かべた。
 初めて彼らを迎えにいった時、彼らが分室に集まった二年前の晩秋の頃を思い出した。北島のジョークや、東郷のきまじめな表情や、南部の剽軽な笑顔や、西城の恥ずかしそうな照れ笑いを思い出した。彼らを慕うみどりの笑い声を思った。
 記録から消えても、彼らがいたことだけは事実だ。忘れまい。忘れるものか。

以上引用---

 淡々とした三人称の語りの中に、突如、挿入された一人称的表現。最後の行の、”忘れまい。忘れるものか。”は、本来なら、”忘れまい、忘れるものか、と竜之介は思った。”と語られるべきなのだが、それを略して一人称のモノローグのようにしたことで、ぐっと読者の心に刺さるのである。
 ただし、これは頻繁にやってはいけない。「ここぞ」という場面に使う表現である。それでこそ効くのだ。
 また、これは作者が登場人物の竜之介の心情にすっかり憑依されている証拠でもある。これを書いている時、私は北島や東郷や西城やみどりたちの、この物語以後の運命を思い、すでに続編を書く気持ちを持っていた。
 ”忘れまい。忘れるものか。”という竜之介の言葉は、「必ず続編を書き、おまえ等の運命を見届けてやるからな」という作者(私)の密かな決意表明でもあるのだ。

薔薇の刺青(タトゥー)/自転車の夏・栗林元
小説指南・栗林元
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by hajime_kuri | 2017-12-01 20:23 | 小説指南 | Comments(0)
荒山徹「秘伝・日本史解読術」。これは、誰もが学校で習う日本史を、誰もが知らない方法で見直すだけで、こんなに発見があるのかということを教えてくれる本である。
荒山氏は伝奇的な作風の歴史小説の名手で、留学までして韓国・中国の歴史を学んだ30年来の韓国通でもある。韓国民の国民感情も熟知している。
この本では古代から近代までの日本の歴史を世界史の中でも位置づけて俯瞰して語っている。
印象的なのは「歴史は繰り返す」と、相似形のケースを折に触れ提示していること。
例えば、1875年の讒謗律(政府擁護のため文書や著作で官僚などの批判を禁止した)と2016年の「ヘイトスピーチ禁止法」が全く同様のものであると喝破する。デモ(どのような内容であれ)が2件禁止されたことを祝福するマスコミの論調に違和感を感じていた私はこの部分で、荒山氏は歴史の本質に気づいているのだと感じた。
氏は「歴史は取り扱い注意だ」と警鐘を鳴らす。明確な史料の隙間や空白に、人は「こうあってほしい」という願望や、「こうだと面白い」という作為を込めてしまう。フィクションならそれでよいが学問がそれでは困る。
現在の大韓民国の歴史では民族主義が跋扈していて、「優れた文化はすべて朝鮮から日本にもたらされた」「古代には朝鮮半島に大帝国があった」といった夢想的な、しかし韓国民には「気持ちいい」説がまことしやかに語られている。しかし、これは開国以降の大日本帝国が西洋列強と対峙するために万世一系の皇国史観を教育していくことと実に相似形だと感じる。

また私には、日清・日露と負け知らずだったにもかかわらず大敗した太平洋戦争後の、打ちひしがれて自虐的になった日本の世相や文化人の転向と、ベトナム戦争でシンプルな「世界の中の正義の味方」というセルフイメージを喪失したアメリカの世相やアメリカ人の脱力感が実に相似形に思える。
荒山氏は昭和36年生まれ。私は昭和33年生まれである。私はこの本で図らずも同じ世代の特徴を知った。

私たちの直前の世代は、本来なら教育や躾などで押さえつけてくる親世代が、敗戦による価値基準の崩壊で言葉を失っていることをいいことに、かなり野放図に育っている「戦争を知らない子どもたち」世代だ。「平和・人権・平等」原理主義的で、それに反する者にはヒステリックである。
彼らから遅れて生まれた私たちは、連合赤軍事件などで「権力と戦う正義の味方」が、結局は同調圧力で仲間を縛り旧軍の内務班さながらのリンチが横行する集団であることを知ってしまった。作品の中で戦中の思想犯やテロリストを英雄的に描く小説家が、開戦に際して万歳を叫んでいた自己嫌悪や戦争に反対できなかった贖罪や免罪符のような意識を抱いていることも知っている。
私たちの世代は、ようやくそのようなしがらみを持たずに戦争を直視できる世代なのだ。
昨年話題だった映画「この世界の片隅で」が、昭和の頃のような声高でヒステリックな「反戦映画」ではなく、戦時の日常を淡々と提示して観客に気づかせる作品になったのは、原作者と監督の世代がやはり私と同じ世代だからだと思う。
例えば私たちは、ゼロ戦の映画を作るために言い訳のように堀辰夫を持ってくるようなことは考えもしないのである。

この本は、歴史に材をとって小説作品を書く、そんな作家だからこその「気づき」に溢れている。そして同時に、時代小説と歴史小説のすぐれたガイドブックにもなっている。
面白かった。

薔薇の刺青(タトゥー)/自転車の夏・栗林元
小説指南・栗林元
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by hajime_kuri | 2017-05-18 12:53 | 小説指南 | Comments(0)

違和感は上達の証

 小説を書き始めてしばらく立つと、自分の書いた文章を読み返して違和感を感じて筆が止まったり、首を傾げて考え込んだりすることが起きる。
 そんな違和感の一例を生徒さんの文章から見てみよう。
(例文)
 今の僕は、何も言えずに口を少し開けながら、ただただ何かを訴えるような目や表情で奥村を見つめていた。
 この文章から感じる違和感の原因は、語り手の「僕」が自分の様子をよく観察したように描いていること。つまり、「僕」という一人称で、三人称の描写をしていることが原因である。
 これが「僕」ではなく「伊藤」であれば違和感は皆無になる。
 どうしてもこのように描写がしたければ、壁に掛かった鏡に映った自分の様子をみて「僕」が「僕」を観る形にするしかない。
 何とか無理矢理リライトするとこうなる。
 今の僕は、何も言えずに奥村を見つめることしかできなかった。口を少し開けながら、ただただ何かを訴えるような目や表情で見つめられて奥村はどう思ったであろうか。
 自分を観たかのように想像して思ったことを書いたわけである。
 自分の書いた文章に違和感を感じたときは、レベルのステージを一つあがったと思ってよい。
 何かをつかんだことを「意識化」するチャンスなので、じっくり考えてほしい。

薔薇の刺青(タトゥー)/自転車の夏・栗林元
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by hajime_kuri | 2017-04-08 15:56 | 小説指南 | Comments(0)
 小説の中では、説明や描写のいわゆる「地の文」と、「」で囲った人物の会話とが存在する。作家は大なり小なりこの二つにコントラストをつけている。またコントラストをつけることで面白さが出せる。
 意味的には、地の文は「客観的」で会話の方はその人物の「主観」なのであるが、技法的に語ってみる。

例文

 店のドアを開けて外へでると、商店街を流れるポール・モーリアが聞こえてきた。もう半世紀近く、この時間帯はポール・モーリアだと聞いていた。
 店の閉まったシャッターとアーケードに反響して大きな音量なのだが、音が大きいほど侘びしさも大きいのだった。
 「えらいことになったがね」と声をかけられて振り向くと、真理子だった。
 「偉いって、俺のこと?照れるな」と答えると、「えらいってのは大変ってことだがね、何言うとるの」と言われた。
 ああ、毎度のことながら、この名古屋弁で真理子の美貌も台無しだと思った。

 地の文は標準語で、会話は名古屋弁。一番原始的な方法だけど会話のリアリティーは出てる。

 この方法で、実は記事や論文での印象操作もできる。
 自分の主張を「冷静な地の文」で語り、反対意見を反対者の「感情的な会話」で書くことにより、相手を貶めて「上から目線」で語れるわけである。

 滑稽なことにそのような手法を、一流と言われる新聞の社説などで散見する。
 みなさんもそう言った文章は苦笑して読めるように成ってほしい。


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1988 獣の歌/他1編・栗林元
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by hajime_kuri | 2017-01-13 22:13 | 小説指南 | Comments(0)
 小説には「情景描写」が必要不可欠である。そこが、どのような場所であるか、キャラクターは何を感じどう行動するか、どのような状況なのかは「描写」で読者に伝えられる。
 そこで考えてほしいのが、その描写は、「単なる説明代わりの描写になっていないか?」ということ。
 主人公がある目的で誰かの家に訪問した時の描写。

単なる説明代わりの描写の例文

 その家は二階建だった。ガレージに二台の駐車スペースがあり、一台分が空いていた。ガレージの隅には数台の自転車が壁に立てかけてある。

いろいろな情報が盛り込まれた描写

 その家は二階建てだった。南の庭と二階のベランダで、弱い日差しを浴びた洗濯物が干されている。
 ガレージには二台分のスペースがあったが、停まっているのは赤い軽自動車が一台だけだ。ガレージの隅には、婦人用の自転車と子供用の自転車が壁に立てかけてある。

 最初の例文は、単なる説明だが、後者の方は、「二世帯住宅」であることと、主人が出かけていることがわかる。
 さらにガレージが整頓されているか否かなどの描写で、その家庭がどのような状況かまで読者に伝えられるだろう。

 映画で言えば、前者の文は、普通になめて撮影しただけだが、後者の場合はクローズアップやズームで撮影しているわけである。

 また、「洗濯物が干されている」などの部分で、「何度も洗って色の落ちた女物のワンピースが、力なくぶら下がっていた」などのように、「語り口」で物語全体のトーンを暗く陰鬱なものにしたりもできる。

 こういう工夫をこらすところが小説を書く楽しみでもある。


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by hajime_kuri | 2017-01-13 22:09 | 小説指南 | Comments(0)
 小説を書いていて、もうすぐラストだというところまで来ると、とりあえずゴールにたどり着くために「書き急いでしまう」ときがある。
 今書いている作品でちょうどいいケースがあったので、それを例にして解説する。

まずは、例文。

 開ける八月十七日。早朝の陸軍・伊那飛行場に国籍表示のないDC8がひっそりと着陸した。
 停戦状態二日目の朝。すでに空港には緊張感がなく、管制の兵も二人だけだった。前夜に陸軍の軍務局から連絡があったので、怪しむものは誰もいなかった。
 朝日を浴びる機から降りたのは、平服の東洋人が一人だった。
 迎えたのは、陸軍第九技術研究所の水野軍医少尉だった。機体すぐ横まで車を寄せていた。
 東洋人は、流暢な日本語でアメリカ軍の軍属である「アーノルド・シミズだ」と名乗った。
 本来の占領軍よりも早い来日である。昨日、大本営から全軍に停戦命令が出たばかりで、停戦内閣の東久邇宮内閣が本日成立する予定であった。講和条約の調印は来月だと見られていた。
 それ故に、正規の軍人としてではなく軍属としての隠密来訪なのであった。
 水野軍医少尉は、「研究所で石井がお待ちしております」と言った。

そして、その修正後。

 開ける八月十七日。早朝の陸軍・伊那飛行場に国籍表示のないDC8がひっそりと着陸した。
 停戦状態二日目の朝。すでに空港には緊張感がなく、管制の兵も二人だけだった。前夜に陸軍の軍務局から連絡があったので、その着陸を怪しむものは誰もいなかった。
 機体に向かって一台の乗用車が近づいて停車した。
 朝日をぎらりと反射する機体のドアが開き、平服の東洋人が一人だけ降り立った。
 車のドアを開け、軍服の男が一人降りてきた。平服の東洋人と握手をし、「陸軍第九技術研究所の水野軍医少尉です」と言った。
 東洋人は、流暢な日本語で「アメリカ軍スタッフのアーノルド・シミズです」と名乗った。
 本来の占領軍よりも早い来日である。昨日、大本営から全軍に停戦命令が出たばかりで、停戦内閣の東久邇宮内閣が本日成立する予定であった。講和条約の調印は来月だと見られていた。
 それ故に、正規の軍人としてではなく軍属としての隠密来訪なのであった。機体ぎりぎりまで車を寄せたのも人目を避けるためだろう。
 水野軍医少尉は、「研究所で石井がお待ちしております」と言った。

 最初の文では、まるで歴史書の文である。ストーリー上はこれでも構わないが、このシーンに出てくる人物は、この後のクライマックスシーンでも事件を目撃し、後のシリーズにおいても重要な役割を負う予定だ。そこで、説明ではなくシーンとして描写することにしたわけである。

 若いころの自分は、このあたりの感覚が疎くて、すかすかの作品を書いていた。だから二次予選で落ちてたんだよってことが、この年になってわかるわけである。

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by hajime_kuri | 2016-10-19 09:39 | 小説指南 | Comments(0)
 作家は物語の必要に応じて情景を描写していく。アニメーターが背景を描くようなものだが、そこにも巧い下手はある。よくやってしまうのが作家都合で描写してしまうということ。
例文を作ってみた。

1、
 いくらノックをしても返事がない。まだ寝ているのだろうか。そう思って寝室のドアを開けた。
 部屋の中は、いつものように、至る所に本が積み上げられていて、机の上には書類の束が乱雑に散らばり、コーヒーカップが一つ置いてある。そしてその机の前のいすに背を預けた老人が、不自然な角度で天井を見上げている。半開きの口から喉にかけ、乾いた涎の流れた痕。目を見開いたまま息絶えたようだ。

それを改稿したのが次
2、
 いくらノックをしても返事がない。まだ寝ているのだろうか。そう思って寝室のドアを開けた。
 デスクの前のいすに背を預けた老人が、不自然な角度で天井を見上げている。半開きの口から喉にかけ、乾いた涎の流れた痕。目を見開いたまま息絶えたようだ。
 部屋の中は、いつものように、至る所に本が積み上げられていて、机の上には書類の束が乱雑に散らばり、コーヒーカップが一つ置いてある。

 わかるだろうか。1の方は、作家が頭の中で情景を思い描く過程どおりに描写された情景。そして2の方は、作中の登場人物がドアを開けてから目に飛び込んできたであろう順に描写した情景だ。
 作家は、舞台設定を考えて状況を描くが、登場人物が、人が死んでいる部屋に飛び込んだら、まず目にはいるのは死体の方で、周辺の状況はその後だろう。

 一心不乱に脳味噌を回転させて物語を綴っていると、往々にしてこういう事をしでかしてしまう。作家の脳内ではお約束になったことも、初見の読者の気持ち、実際に現場にいる登場人部の気持ちになることが大切なのだ。
 そのためにも、作品を書き上げたあと、脳をまっさらにリセットして読み直す過程が必要なのである。


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by hajime_kuri | 2016-10-05 12:24 | 小説指南 | Comments(0)
 今回は、作品の感想文を書いてみた。文豪・志賀直哉の「雨蛙」という作品である。ストーリーは、文学趣味の若い亭主・賛次郎がその興味のない妻に文学趣味の会合に参加させて、不良作家からひどい目に遭わされて後悔する話である。興味がある方はどんな図書館にもあるのでお読みいただきたい。

 賛次郎にとって文学趣味は、家を継ぐために都会に残してきた高等遊民(労働せずに文化芸術に耽るインテリ)としての生活を象徴している。
 健康で美しい妻せきの唯一の欠点が、この文化芸術、特に文学趣味に対する興味がないことで、彼はそれを「目に光がない」と言って不満を持っている。
 都会から来た作家を囲む地方文芸の集いにせきを参加させることで、結果として妻につらい体験をさせて夫婦の距離さえも遠ざけてしまう話である。

 作者の描写を読むだけで、一見愚鈍なせきと、インテリの女教師山崎の対比は明らかで、作者がどちらの女性を好ましく思っているかまで判る。
 作家連中の描写にも、「文学をやっている」事に対する夜郎自大なプライドを感じさせる。
 賛次郎や、山崎女史の軽薄さは、文学趣味をもってプライドとする浅はかな地方文壇の世界を象徴し、一方、「目に光のない」と思っていた妻せきの本当の可愛さは、二人で過ごす慎ましやかな自分の世界を象徴している。

 傷ついた妻を連れて帰る途上、雨蛙の夫婦を見て、地に足の着いた慎ましい日常の大切さに気づいた賛次郎は、いつもの村が久しく見なかったように新鮮で大切に映る。それに気づいたからこそ、書棚の中の小説と戯曲を焼き捨てたのである。

 志賀直哉には、作品ではなく作家であることにこだわる軽薄な文人たちや、彼らの一般人に対する上から目線に対する反感があったのかもしれない。そんな想像をした。

 その上で、ネットに散見する感想や分析を読んでみたが、この文学趣味の地方文化人たちの軽薄さや高等遊民の浅はかさにふれる感想がなく、優柔不断な夫や愚鈍な妻に関する感想ばかりで驚いた。

 おそらく、文学趣味の人たちは、自分の恥部を指摘されたような気恥ずかしさを感じたのではないか。

 私は、当然、自分自身のそんな気恥ずかしさを感じたし、そういった地方文人のかっこわるさも自認している。それを正面から語れるか、隠そうとするかの違いが、小説を「読む人」と「書く人」の違いであろうと思った。


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by hajime_kuri | 2016-10-05 12:22 | 小説指南 | Comments(0)

構想倒れ

 先日WEB系の仕事をしている長女と話したときのこと。
 RPGゲームを作るツール(アスキーから出ていたツクールみたいなものか)があり、ゲームを作りたいアマチュアがゲームを作ってネットで公開しているのだそうだ。

 その中で、壮大な構想を作りながらそれを完結することができずに放り出している人を「エターナる」と呼ぶと言うのだ。曰く作品が「永遠に完成しない」状態になること。
 壮大なファンタジー世界を構築し事件の年表を作り出してなおエタる人などがいるそうで、エタるというよりへたるだね、と笑っていたが小説と同じだなと感じた。
 娘からは「父さんは、書き出した作品を投げずに完結させて偉い」と言われたが、実は投げ出さないこつがある。

 長大な物語で細部まで練られた世界観と諸設定と言われて思い浮かぶのがJ・R・R・トールキンの「指輪物語」である。北欧神話やケルト神話の豊富な知識を利用した緻密な設定が有名だが、あれも最初からすべての設定があったわけではない。最初は「ホビットの冒険」という児童文学が始まりだ。その物語を紡ぎながら世界が完成していった訳である。

 また、エンタメ作品ならばエドガー・ライス・バローズの「火星シリーズ」も有名だ。これも火星語辞典などが有名だが、これも最初からできあがっていたのではなく、主人公ジョン・カーターが未知の世界である古代の火星に転生し初めて見る世界に驚き次第になれていく過程で作者がでっち上げていった世界である。

 作者が物語世界を構築する過程とは、主人公(読者)がその世界を知っていく過程なのである。
 作者は物語を語りながら同時に世界を構築しているのだ。架空世界の構築は物語が終わったときにこそ完了するのだと考えればいい。
 世界の構築で疲れ果てて物語を途中で放棄するようなことは、これで防ぐことができる。小さなドラマの積み上げで、世界は完成していくのである。


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by hajime_kuri | 2016-09-06 21:22 | 小説指南 | Comments(0)

書き直しは躊躇せず

 みなさんは小説を書いていく上で、どの程度の書き直しをしているだろうか。

 特に長い作品を書いている途中で、作品を書き直したくなることがある。それは必ず筆が止まったときや、物語後段の展開に迷ったときに訪れる。

 物語の冒頭からしばらくは、文体(語り口)なども固まらず手探りで書いている。作者自身の中に迷いなどもある。作品を書きながら、思いに決着をつけていくわけだ。
 同時に冒頭は、物語全体のトーンを決める部分でもある。
 半分以上書いてくると物語のトーンや語り口が練れてくるので、冒頭執筆時とは否応なく変わってくるのだ。特に技術的に進化途上のキャリアの若い作家ほどそう。
 また、下記ながら思いついたことを、冒頭にさかのぼって伏線として張ったりもする。それがなければよい作品にはならない。

 そんなときは、逐一冒頭から読み直して修正や加筆訂正をしていく。
 原稿用紙に万年筆の昔と違い、今はPCの電子データで加筆も簡単だ。私も、原稿を加筆修正する度に印刷アウトプットして確認するのだが、一章で六回ほど書き直していた。

 書き直して完成形に近付くほど、後段の執筆速度が速くなる。この書き直し作業は「必要な手順」なのである。
 みなさんも、書き直しは躊躇せず何度でもリトライしてほしい。



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by hajime_kuri | 2016-06-29 21:06 | 小説指南 | Comments(0)