「読書記録」を中心に、読んだ本、見た映画の記録、書評、ブックガイド、その他日常の徒然ね。


by hajime_kuri

カテゴリ:小説指南( 76 )

 初めて小説を書くときに、まず最初にぶつかる問題の一つが語りの視点を誰にするか、そしてそれを1人称で書くか3人称で書くかということだ。
 1人称の語りとは以下のようなもの。

 俺がその街に着いたのは、11月の下旬だった。駅前の商店街でも気の早い店からはクリスマスソングが漏れてきて、アーケード街に連なる閉じたシャッターに反響して、そのわびしさをいっそう際だたせていた。

 「俺」という主人公に語らせる、完全な1人称体だ。これを「俺」ではなく「隆(たかし)」という名前に変えると3人称になる。こんな具合だ。

 隆がその街に着いたのは、11月の下旬だった。

 どのような違いがあるかというと、それぞれの場合の後に、主人公がいない別の場所のシーンを追加してみるとわかる。

 一方、同じころ、駅の反対側のロータリーでは、真智子がタクシーを捕まえていた。

 この内容を書く場合、「俺」という1人称の場合だと、

 今頃、駅の反対側のロータリーで真智子がタクシーを捕まえているはずだ。

 と書かねばならない。面倒だよね。1人称は一見書きやすそうだけどこのような制限が生まれる。逆にその制限こそが1人称のメリットでもあるのだ。

 3人称にはもう一つ、神の視点というものが存在する。今まで述べた3人称が「俺」という視点を維持しながら3人称で語っていた(1人称視点の3人称などともいわれる)のとは別に、神視点の場合は、章や段落ごとに主体となる人物の視点を変えることができる。いわば神視点の3人称だ。 先ほどの例でいけば、

 真智子は、タクシーを捕まえるために右手を挙げ、精一杯の笑顔をしながら、心の中で、さっさと止まれよ、と毒づいていた。

 という描写をしたり。さらには、古風なスタイルだと、「彼女の名誉のため、普段の真智子はけしてこのような女性ではないと付け加えておこう」などと、語り手としての作者が顔を出してしまうことも可能だ。小説ではないが、手塚治虫がマンガの中でよくやる楽屋落ちである。
 私が初めて書いた小説が、実は1人称「俺」のハードボイルドミステリーだった。書きながら、この1人章の壁に気づいて勉強になった。今思えば、まだ若書きの恥ずかしい作品だが、幸運にも小説推理の双葉社の編集の方に読んでいただきアドバイスをもらえた。

 「最初は3人称で練習をした方がいいよ。1人称はむずかしいからね」

 当時、何が難しいのかよくわからなかったが、今ではまったく同意見である。

 特に神視点の3人称は、メインとなる登場人物が3人ほどいて、彼らを主人公にしたエピソードが交互に出てくる長編小説(スティーブン・キングなどの作品を思っていただきたい)に適している。
 一方、「俺」による1人称小説は、完結した短い短編の連続で物語が進行する、連作長編に向いている。
 実は、このあたりの勘所は平井和正氏の「ウルフガイ」シリーズで学んだ。面白い小説なので一読をおすすめする。
 人狼を主人公とした活劇小説であるが、二つのシリーズが平行している。
 犬神明というルポライターを主人公にした連作短編アダルトウルフガイ。これは「俺」で語られる。主人公の軽妙なキャラクターは、その後多くの作者に影響を与えていて、有名なところでは、寺沢武一氏のコブラは犬神明がインスパイア元だろうと思う。
 もう一つが高校生の犬神明を主人公にした3人称の大長編である。人狼の「不死と超能力の秘密」を巡りアメリカのCIA、中国情報部虎部隊などが三つどもえの戦いを繰り広げる興奮必至の物語で、高校生の私も何回も何回も繰り返して読んだものである。

 この人称の切り替えで面白い効果も出せる。自分も以前、「僕」の1人称で少年時代の思い出を語り、それを夢で見ている「私」のエピソードと交互に配置してクライマックスに持って行くというホラー短編を書いたことがある。
 また乙一氏の初期短編集「GOTH」の中にも「犬」という優れた作品があるので、これも一読されたい。


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by hajime_kuri | 2014-07-17 21:43 | 小説指南 | Comments(2)

描写と説明

 小説の中身は、情景や行動の「描写」と、舞台背景や世界観などの「説明」で成り立っている。
 描写により、状況や心理や光景などが生き生きと描かれる。シナリオ作法でまず教わるのが、「描写で説明せよ」ということで、よく例に挙げられるのが喫茶店でカップルがコーヒーを飲むシーン。

何も言わずに、相手のカップに角砂糖を入れてあげる場合は、現在交際中。
「砂糖はおいくつ?」と聞いた場合は初対面。
「三つだったっけ?」と、聞いた場合は、久しぶりに再会した二人。
といった具合に、地の文で、彼女との関係をあえて説明しなくてもいいのだ、と教わるのである。

 しかし、全編を描写だけで描くことは不可能だ。説明や解説でてきぱきと進めなければならない場合もある。企業小説などでの解説や、歴史小説での時代背景の説明は、不可欠の要素である。
 また、説明や解説を多用することで、感情を廃した乾いた独特のムードを生み出すことができる。
 例として、小林恭二氏の「ゼウスガーデン衰亡史」がある。これは下高井戸オリンピック遊技場といううらぶれた遊園地が、天才的な経営手腕でゼウスガーデンという巨大アトラクションパークとして人間の欲望と快楽を吸収していく歴史を、ローマ帝国衰亡史のような歴史書スタイルで描いたもので、全編が説明である。
 また、大藪春彦氏の作品における「銃」「車」「猟」に関する説明は、それ自体が作品の魅力の一部になっている。
 描写で描くべき部分と説明ですますべき部分。描写でなければならない部分と、説明でなければならない部分。その匙加減を「体得」するのも、小説を書く技術なのである。


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by hajime_kuri | 2014-07-14 22:47 | 小説指南 | Comments(0)
 初めて小説を書いた人が、やってしまいがちなことに、主人公の容姿や外貌を丁寧に描写するということがある。
 ハードボイルド小説の場合なら、「短く刈り込んだ髪」とか「彫刻刀でそぎ落としたような荒削りな顔に、目だけがギラギラと光っていた」とか描きがちだし、つまり作者の好みのイメージをこれでもかと描写してしまうわけである。
 しかし、市場に出ている多くの小説を見ていただくとわかるのだが、主人公の容姿や外貌を描いている作品は、圧倒的に少ない。
 なぜだろうか。
 作品を読むときに、主人公の外貌が描写されていることにより、「俺はメガネかけてるし」「私はぽっちゃりしているし」といったつまらないことで、読者の感情移入をじゃましてしまうことがあるのだ。特に、ごく普通の人が主人公という作品こそそれが顕著である。
 そこで、多くの作家は、物語に関係がない容貌などは描写せず、読者のイメージや想像に委ねるのである。
 そうでない場合もある。主人公や登場人物が、その容姿や外貌に、「コンプレックスを持っている」「自信を持っている」「利用している」等、物語の中での行動や判断に重要な意味を持っている場合は、当然丁寧に描写しなければならない。
 また群像劇の場合も書き込みが必要だ。大勢をかき分ける必要のためでもあるが、いろいろな個性の登場人物たちが活躍する物語の場合、読者は「ああ、このキャラは俺だ」と自分に近いキャラを選んで感情移入して物語に「参加できる」からである。

 こういった描写の必要、不必要の判断、これも作家修行者が、体得すべき重要なポイントである。


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by hajime_kuri | 2014-07-13 10:56 | 小説指南 | Comments(0)

小説を書く動機

 小説作品を書く動機はどこからくるのだろうか。
 世の中の作家がすべてそうだとは思わないが、私の場合は次の三点が動機である。

1、今までにない、面白いストーリーを思いついた
2、世間や人に言いたい「意見」や「考え」がある、訴えたいことがある
3、こんな光景やシーンを描写したい、言葉で伝えたいイメージがある

 この三つが渾然一体となって、執筆意欲になるわけである。
 具体的には、2と3は、日常生活の中で、いつも念頭にあることで、思いつくたびに頭の中にストックしていき、1の面白いストーリーを思いついた時に、そのストーリーを補強するために、2と3が動員されるのである。これは、私がエンタメ系の書き手であるせいもあろう。

 具体的に私の場合の例を挙げてみよう。
 以前、「神様の立候補」という衆議院選挙をネタにした小説を書いたことがある。きっかけは、広告会社の営業として、さる泡沫候補の選挙広告を扱った体験をしたことだ。その候補者先生は、神様のお告げで立候補をされたという方で、その方の政見放送の収録などにも立ち会った。通常の人なら決して体験できないことを体験できて、「これは小説にできる」と思ったのがきっかけである。
 さらに、その一風変わった候補が、小さくひ弱な老婦人で、そのおばあさんの広告扱いを獲得するために、大新聞社や広告会社の社員が右往左往するという滑稽さがストーリーの核なので、「高齢者問題」、「宗教と政治」、「選挙とマスコミ」などいつも自分で感じていたことを盛り込んだ。
 実際に社会で問題になっていることに対する視点を描くだけで、ストーリーにぐっと現実味が出て、さらに深みも増すのである。これをやらないと「単なるお笑い」で終わってしまい、読者の心に何かを残すことができない。
 この作品の舞台になった選挙は、ちょうどオウム真理教が教祖・松本を擁立した選挙で、社会的にも「宗教と政治」「若者と宗教」がクローズアップされた時期であった。今なら、別のアプローチもできたかもな、と思っている。

※「単なるお笑い」と書いたが、これは「単なるお笑い」をバカにしたわけではない。「単なるお笑い」は、これはこれで、深い覚悟がなければ書けない世界で、これほど難しいものもないからである。「笑い」に関しては、また、別の機会に書いてみたい。


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by hajime_kuri | 2014-07-13 00:08 | 小説指南 | Comments(0)
個人レッスンを提供する、「咲いた(Cyta).jp」で、小説の書き方をコーチングする、「小説指南」という講座を持つことになった。あまたの文芸教室とは一線を画して、マンツーマンで小説を書きたいと志した方が、処女作を書き上げることを目標としている。
スクールサイトにて、小説を書こうという人たちに役立つ記事を書いているので、こちらのBLOGでも紹介して宣伝するつもり。カテゴリーは「小説指南」。まずは、開講の辞を転載しておく。ご興味をもたれた方は、リンク先をご訪問いただきたい。エリアは、名古屋市を中心とした愛知県尾張地区。

開講の辞

 「指南」とは中国古代の指南車に由来する言葉だ。馬車につけられた仙人の人形が機械仕掛けで常に南の方角を指すように作られていた。転じて武術や芸術などを指導することを指南というようになった。
 今回、小説の書き方、味わい方をコーチすることになりコースの名前を考えたのだが、「小説教室」だと実制作に沿ったマンツーマンの良さが伝わらないし、「小説講座」だと座学中心のイメージになる。実際、作家としては無名の自分には教室や講座の「先生」なんて気恥ずかしいし罰が当たりそうだ。
 ここはやっぱり、プロフェッショナルに金で雇われたコーチってのが一番ふさわしい。となると、口座名は「小説指南」しかないだろう。これが講座名の由来である。

 さて、このコースでは、「小説を書いてみたい」という方に、その作品を書いてもらいながら技術的な指導をする。技術は実際に書きながら修得するものだからだ。ただ、中には「書きたい」けど何を書けばいいのかわからないという人もいるだろう。
 実は、従来の入門書や教室では、その部分がなおざりにされていることが多く、「何を書けばいいのかもわからない人は、元々小説を書く人ではない」と切り捨てられていた。
 だが、これだけ多くの人に愛読される表現形式である小説。それを書くことだけが、それほど特殊なことなのであろうか。私は、それは違うと思う。
 小説が好きな方なら、だれでも小説は書ける。書きたいものが見つかる。ただ、それが多くの読者を獲得するかどうかは、内容とセンス次第である。
 この講座では、受講者の方が書きたいものを見つけて実作に取りかかれるようにしたい。その上で、最初の作品を書き上げるところまで寄り添いたいと思っている。昔と違い現代では、書き上げた作品を自力で電子書籍化して市場に出すことができる。最近では、新人作家の発掘はコンテストだけではなくネットの電子書籍からのスカウトも多いのだ。

 「小説指南」とは銘打っているが、小説にとどまらず、ゲームや映像のシナリオなど、「ストーリー型コンテンツ」の作家を目指す方は、どしどしとご応募いただきたい。
 私自身、高校大学の頃はマンガを描いていたが、物語る速度と手法が小説に向いていると気づいて転向した人間である。映画とテレビドラマのシナリオなどにも挑戦したことがあるし、広告マンのディレクター時代にはラジオ番組にも関与した。すべては共通の土台である。

 スタートラインに立つための「書きたいもの」を見つけることは、実は日常生活を作家の目で過ごすことから始まる。見ること、聞くこと、体験すること、感じること、うれしいこと、悲しいこと、悔しいこと、恥ずかしかったこと、それらすべてが作品のネタなのだ。今まで、やり過ごしていたこと、考えないようにしていたことを意識化し、客観視する事で、作品化できる。
 悔しい思いや悲しい思いを、普通の人間が語れば、それは「単なる恨み節」だが、いやしくも作家が書くならば、それは「作品」として万人の共感を得るものになっていなければならない。そして、その体験を「恨み節」を超克した「作品」として書き上げることができた時、作家は、自分がその悲しみや悔しさを克服していることに気づくのである。
 これは、うつを病んで休職経験がある私自身の体験から実感したことだが、作家の目で日常を生きると、どんなつらい現場に直面しても、自分の体の1メーターほど上空から自分を見下ろしているもう一人の小説家の自分がいて、「これは、いいネタができた。こんな経験した奴は少ないぞ」とほくそ笑んでいるのである。

 小説家マインドを持つと、間違いなく「強くは成れる」のだ。これは、悪くないと思う。

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by hajime_kuri | 2014-07-11 22:45 | 小説指南 | Comments(0)
a0003784_8598.jpg八百編もの短編小説を生み出してきた阿刀田高がみずから解説・案内する、短編小説の醍醐味だ。短編小説は短いだけに、あらゆる技法を駆使した作品にならざるを得ない。ただし、第一歩で読者をつかむと、短いだけに、実験的なこと冒険的なことが許される。これが面白い。
短編小説は、ある意味、スポーツの観戦とも似ている。野球のルールを知らないと、野球の試合はまったく面白くない。実は、読者の大半は、短編小説に張り巡らされた技巧や仕掛け(これは、ミステリーやエンターテイメントに限ったことではない)を知らず(というか意識せず)に読んでいる。意識させないのが作家の力量だからこれは当然なのだが、これを意識して読むと、短編小説は、もっと楽しめるのである。
本書では、小説作りの源泉と技をも教えてくれる。とアマゾンのレビューは書いてあるが、個人的には、ストーリーの技術的なことよりも、ストーリーの発想のきっかけや、その表現を選択した意味などの細かい点が、「うんうん」とうなずける。実際に小説を書いている者のはしくれとして、そういった「感覚」で知っていたことを「意識的」に説明できるというところに、阿刀田高氏は本当に短編形式をよく極めているなあ、好きなんだなあ、ということが伝わってくる。
印象的な言葉を引用しよう。
「よい小説は、全部を書ききらずにおいて、読者の参加を待つところがある」
これは、第七章の志賀直哉で語られている。簡単に言えば、その心情すら描写されない脇役の一人に視点や焦点を移し、別の作品が発想できうる、という作品の力のことである。
だからこそ、そういった作品は右から左に忘れ去られることなく、短くてもしっかりと読者の心の中に残るのであろう。
向田邦子、芥川龍之介、松本清張、中島敦、新田次郎、志賀直哉、夏目漱石、ロアルド・ダール、エドガー・アラン・ポーなど十人の作家の、名作やユニークな作品を具体例として選んで特徴を解説し、短編の構造と技法に迫っている。
個人的には、技巧を凝らした面白い短編を無性に書きたくなってしまった。当然、ここで語られていることを知れば、短編をより楽しく読むことができる。作家たちが凝らす小説技巧を「うまいなあ」とか「なるほど」と味わうことができると、短編小説は三倍は面白くなる。

以下目次

第1章 短編小説はおいしいぞ
第2章 向田邦子『鮒』そして、その他の短編
第3章 芥川龍之介『トロッコ』『さまよえる猶太人』そして、その他の短編
第4章 松本清張『黒地の絵』そして、その他の短編
第5章 中島敦『文字禍』『狐憑』そして、その他の短編
第6章 新田次郎『寒戸の婆』そして、その他の短編
第7章 志賀直哉『赤西蠣太』そして、その他の短編
第8章 R・ダール『天国への登り道』そして、その他の短編
第9章 E・A・ポー『メエルシュトレエムの底』そして、その他の短編
第10章 夏目漱石『夢十夜』そして、その他の短編
第11章 阿刀田高『隣の女』そして、その他の短編

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私も短編小説を書くのは好きだ。こんな作品があるのでお暇な方はお読みいただきたい。ちゃんと技巧も凝らしてあります(←ちゃっかり自作の宣伝・笑)↓
「毛布の下」(栗林 元)

また、作家安西啓氏の下記コラムも創作者には有意義である。
ショートショート創作講座
この記事は文芸社のホームページにある。

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作者・栗林元は小説を書いています。よろしければお読みください。(Kindle版です)

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薔薇の刺青(タトゥー)/自転車の夏・栗林元
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by hajime_kuri | 2004-07-03 09:00 | 小説指南 | Comments(0)