「読書記録」を中心に、読んだ本、見た映画の記録、書評、ブックガイド、その他日常の徒然ね。


by hajime_kuri

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ストーリー作りの実際

 大まかなストーリーを思いついた後、それをいかにして小説の形にしていくか。これは作家の数だけ方法があると言える。すべてを頭の中ですませてほぼ完成型で書き出してしまう作家もあれば、書きながら次の展開を構想していき最終的に完成させる人もある。
 私の場合は、かなり綿密に着地点を決めて書き出す方である。映画のシナリオを勉強(独学です)した経験があるので、各シーンをカードに書いて並び替えや書き足しをしながらストーリーラインを決めていくという「箱書き法」を使っている。これは映画のように締め切りの決まったタイトなスケジュールで、複数の人間が共同作業でストーリーを作っていく場合に、その発想や展開の脳内作業を可視可して共有化する手法である。
 最終的にそれをチャートのように連続させてストーリーが固まり、シーンやエピソード、または登場人物ごとに分担を決めて一気に書き上げ、一冊のシナリオができあがるという(シナリオの教科書によれば)。
 現代では、アウトラインプロセッサと呼ばれるパソコンのソフトがこの作業を支援してくれる。
 章、段落、といった階層をツリー上に管理して、そこにテキストを書き込む。並べ換えが自由にできるので、簡単なストーリーラインのメモから始めたノートを、書き込み、分割し、並び替えて、最後には長編小説になっているという具合である。
 私のコーチングでは、Windows用のStoryEditor(ストーリーエディター)というフリーソフトを利用する。これは、プロの作家やライターにも利用者が多いソフトで、実はWinndows7以降は未対応ということになっているが、インストールの仕方で7以降でも普通に使える。私は、USBメモリの中にフォルダを作って保存してあり、出先やネットカフェ等のPCでも利用できるようにしている。
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 このような方法もレクチャーしているので、小説を書いたり、文芸評論を書きたい方、また小説形式に限らず、台本・シナリオ・ゲーム等のストーリー型コンテンツの執筆を目指している方は、お気軽に受講していただきたい。


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by hajime_kuri | 2014-07-29 22:40 | 小説指南 | Comments(0)

会話表現のコツ

 小説を構成する要素は三つある。
 描写、説明、会話である。今回は「会話」について。
 言葉に発した部分は、「」で囲って表現するが、その言葉が誰によって発せられたかがわかるように書く必要がある。そこで、基本的には次のように書く。

 「それは、納得できないな」と高橋が言った。

 ただ、すべての発言に、”と誰々が言った”と書くのは単調になるし会話のリズムも悪い。小説の会話では、同じ人の発言を連続して書かないという暗黙の了承があるため、高橋の言葉の次は別の人の発言いなる。このシーンの登場人物が高橋と加藤であるなら。

 「それは納得いかないな」と高橋が言った。
 「どこが?」

 と書けば、”と加藤が言った”は省略ができる。さらに、二人の口調や口癖で人物の書き分けができている場合。高橋は年上で傲慢な感じ。加藤は高橋の後輩という設定なら、

 「それは納得いかないね、俺的にはさ」
 「どんなところが、納得いかないんですか」

 こう書けば、どちらが高橋で、どちらが加藤かを書かなくてもわかる。

 また、会話で物事の説明をしなければならない場合がある。

 「選挙広告には、規則があってね」
 「どんな規則なんですか」
 「まずは、掲載回数だね」

 という具合に、すべてを対話で描写することも可能だが、ページ数やリズムの関係上、スピードアップしたいときもある。そんな場合は次のように処理したりする。

 「選挙広告には、規則というものがある」と、高橋は資料を広げた。もともと、選挙広告は公職選挙法で掲載回数が決まっている。候補者の運動資金の多寡により、候補者層に対する露出に差がでるのを防ぐ為なのである。「あくまで公平でなければならんわけだよ」と高橋。

 地の文で説明に転じてしまうわけだ。このような方法を模索しながら原稿を書いていく。その繰り返しがスキルアップになるのである。


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by hajime_kuri | 2014-07-26 15:06 | 小説指南 | Comments(0)

創作の仲間を持とう

 小説という表現は他人に読まれるためのものだ。誰も読んでくれない作品を書こうと思う人は一人もいない。ただ、小説という表現が不幸なのは、簡単に読んでもらえないということである。
 音楽であれば、ストリートで歌っていても、長くても5分足を止めて聞いてもらえば、その善し悪しは伝わる。マンガも早く読める。映像もまずはモニターの前で目を開いていてもらえばいい。
 音楽・映像に関しては、YouTubeでも作品は味わってもらえるのである。一方、小説はどうだろうか。これは、能動的に頭を読書モードに切り替えてもらい、集中が必要だ。インターネットのサイトで公開しても、知名度がなければ読んでもらえない。作家修行中であればなおのことだ。
 そんなときにありがたいのは、同じように小説を書く仲間である。私の場合、小説を書き始めて3年目の25歳の時に、仕事の関係で出入りしていたタウン情報誌の編集部で、同じように小説を書いている人がいるんだよ、と紹介された弾射音(第一回インターネット文芸新人賞受賞)さんとすぐに友人になった。
 大学時代、体育会に所属していて、文化系のサークルと交流がなかった私には、同じように小説を書く友人ができてうれしかった。お互いに書いた作品を人に読んでもらう経験がなかったので、コンテストの2次予選で落ちても、自分に何が足りないのかが今までわからなかったのだ。
 また、年が同じで、実力も拮抗していたのもよかった。競いあえるのだ。一番勉強になったのは、二人で長編小説を合作してみたことである。 ちょうどフィリピンでマルコス政権が倒れる時期で、連日テレビのニュースでその情勢が報道され高い視聴率を稼いでいた。私が広告会社、弾さんが業界新聞とマスコミの事情にある程度通じていたので、一連の報道を見ながらあるストーリーを思いついたのである。
 東南アジアの小国で新政権が誕生しアメリカ軍が撤退する。だが、再び反対派によるクーデターが起きそうになるが、その背後には大手メディアグループが存在した。新政権と反体制派の両方を陰から支援する。その戦争の戦略はどちらも勝利しないように、戦略ゲームの名人たちにコンピューター上で戦わせて、それを両軍に伝える。戦争自体を泥沼化させ、終わりなき戦争というコンテンツを放送して広告収入を得る、というストーリー。まだコンピューターはMS-DOSのVer.3が主流だった時代である。
 箱書き法で分担を決めて、担当の章を一気に書いては原稿を持ち寄ってスリ合わせをした。毎回、「この章を、弾さんはこう書いたか」といった感想を持ち、お互いに足りない部分を補完する。すると、自分に足りないものがよくわかるのだ。
 この作品は結局書き上げることができずに終わったが、確実に私の実力を上げてくれた。この弾さんが転勤で東京に行くまでの10年近い交流が私の小説修行になっている。
 同じ年頃で、同じぐらいの実力の仲間を見つけてほしい。

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by hajime_kuri | 2014-07-22 23:25 | 小説指南 | Comments(0)
小説作品の普遍性とはどういうことなのだろうか。
私は、多くに読者に共感されることだと感じている。

 ピエール・ブールというフランス人は太平洋戦争中にインドシナで日本軍の捕虜になり捕虜収容所で苦労をした。植民地の宗主国としてインドシナ半島を支配して我が世の春を謳歌していた白人が、一段下の存在だと思っていた黄色人種に破れて虜囚にされたのである。その悔しさ、屈辱はいかばかりであったろうか。日本は戦後、捕虜の扱いで100人以上の戦犯を出したくらいだから、捕虜の苦労もひとしおであろう。
 彼は戦後、その体験を元に一冊の小説を書いた。普通であればフランス人を主人公にして虜囚体験を綴るのではと思われるが、彼が書いたのはSF小説でタイトルは「猿の惑星」であった。
 彼は、日本及び日本人、アジア人に対する恨みは「アジア人を猿になぞらえる」という一点(これも痛烈だが)にとどめ、あとは西洋文明と白人のおごりと衰退、また支配階級「猿」を描いて人間社会の中の階級などを批評的に描いた。

 多くの人が想像するように、フランス人を主人公に虜囚生活を描写していたら、どれほど冷静に描こうと、これは白人の「恨み節」として、多くの読者(特にアジア人)を獲得する事はできなかっただろう。
 これをSF小説に変え、「恨み」を「文明批評」に昇華させることで、この作品は「普遍性を獲得した」と思うのだ。
 ただ、ブールは死ぬまで日本を恨んでいたようで、作品と個人の思いはまた別である。

 個人の体験や感動や怒りや恨みで小説を書くことは間違いではない。ただ、いい小説にするためには、その感情を克服していることが必要だ。むしろ、小説化することによって克服ができるという側面もある。
 私自身、「うつ」を体験して10年ほど「抗うつ剤」のお世話になっていた時期があるが、それを克服できたのは、小説を書くという行為と、作家的な視点のおかげだと思っている。

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by hajime_kuri | 2014-07-19 21:04 | 小説指南 | Comments(0)
 初めて小説を書くときに、まず最初にぶつかる問題の一つが語りの視点を誰にするか、そしてそれを1人称で書くか3人称で書くかということだ。
 1人称の語りとは以下のようなもの。

 俺がその街に着いたのは、11月の下旬だった。駅前の商店街でも気の早い店からはクリスマスソングが漏れてきて、アーケード街に連なる閉じたシャッターに反響して、そのわびしさをいっそう際だたせていた。

 「俺」という主人公に語らせる、完全な1人称体だ。これを「俺」ではなく「隆(たかし)」という名前に変えると3人称になる。こんな具合だ。

 隆がその街に着いたのは、11月の下旬だった。

 どのような違いがあるかというと、それぞれの場合の後に、主人公がいない別の場所のシーンを追加してみるとわかる。

 一方、同じころ、駅の反対側のロータリーでは、真智子がタクシーを捕まえていた。

 この内容を書く場合、「俺」という1人称の場合だと、

 今頃、駅の反対側のロータリーで真智子がタクシーを捕まえているはずだ。

 と書かねばならない。面倒だよね。1人称は一見書きやすそうだけどこのような制限が生まれる。逆にその制限こそが1人称のメリットでもあるのだ。

 3人称にはもう一つ、神の視点というものが存在する。今まで述べた3人称が「俺」という視点を維持しながら3人称で語っていた(1人称視点の3人称などともいわれる)のとは別に、神視点の場合は、章や段落ごとに主体となる人物の視点を変えることができる。いわば神視点の3人称だ。 先ほどの例でいけば、

 真智子は、タクシーを捕まえるために右手を挙げ、精一杯の笑顔をしながら、心の中で、さっさと止まれよ、と毒づいていた。

 という描写をしたり。さらには、古風なスタイルだと、「彼女の名誉のため、普段の真智子はけしてこのような女性ではないと付け加えておこう」などと、語り手としての作者が顔を出してしまうことも可能だ。小説ではないが、手塚治虫がマンガの中でよくやる楽屋落ちである。
 私が初めて書いた小説が、実は1人称「俺」のハードボイルドミステリーだった。書きながら、この1人章の壁に気づいて勉強になった。今思えば、まだ若書きの恥ずかしい作品だが、幸運にも小説推理の双葉社の編集の方に読んでいただきアドバイスをもらえた。

 「最初は3人称で練習をした方がいいよ。1人称はむずかしいからね」

 当時、何が難しいのかよくわからなかったが、今ではまったく同意見である。

 特に神視点の3人称は、メインとなる登場人物が3人ほどいて、彼らを主人公にしたエピソードが交互に出てくる長編小説(スティーブン・キングなどの作品を思っていただきたい)に適している。
 一方、「俺」による1人称小説は、完結した短い短編の連続で物語が進行する、連作長編に向いている。
 実は、このあたりの勘所は平井和正氏の「ウルフガイ」シリーズで学んだ。面白い小説なので一読をおすすめする。
 人狼を主人公とした活劇小説であるが、二つのシリーズが平行している。
 犬神明というルポライターを主人公にした連作短編アダルトウルフガイ。これは「俺」で語られる。主人公の軽妙なキャラクターは、その後多くの作者に影響を与えていて、有名なところでは、寺沢武一氏のコブラは犬神明がインスパイア元だろうと思う。
 もう一つが高校生の犬神明を主人公にした3人称の大長編である。人狼の「不死と超能力の秘密」を巡りアメリカのCIA、中国情報部虎部隊などが三つどもえの戦いを繰り広げる興奮必至の物語で、高校生の私も何回も何回も繰り返して読んだものである。

 この人称の切り替えで面白い効果も出せる。自分も以前、「僕」の1人称で少年時代の思い出を語り、それを夢で見ている「私」のエピソードと交互に配置してクライマックスに持って行くというホラー短編を書いたことがある。
 また乙一氏の初期短編集「GOTH」の中にも「犬」という優れた作品があるので、これも一読されたい。


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by hajime_kuri | 2014-07-17 21:43 | 小説指南 | Comments(2)

反戦平和も世につれ

私の高校時代は1970年代の中盤で、朝、学校に行くと教室の机の上に「三里塚闘争を支援しよう」というアジビラが置いてあったりした。名古屋という地方都市の進学校なので、地元国立大学の学生運動家のオルグが進んでいたわけだ。私も中学生の頃から、三一書房の新書などを読んでいたませガキで、当時の高校生らしく左翼にシンパシーを感じていた。
当時の反戦平和の論調は、「自衛隊は軍隊で、憲法違反の存在」である。
若者の間で、自衛隊の人気はなく、自衛隊員に対する風当たりも強かった。「自衛隊に入ろう」という嫌みたっぷりの反戦ソングもあり、自衛隊員の家族がどれほど悲しい思いをしたろうかと、今では胸が痛む。
人権に敏感なはずの左翼の人たちにとっては、自衛隊員には人権などなかったのであろう。

ところが、阪神大震災や、東北地方太平洋沖地震の献身的な活躍で、自衛隊員の評価は高まった。入隊を希望する若者も多くなった。
さすがに反戦平和運動のプロたちも軌道修正を余儀なくされたのだろう。昨今の、集団的自衛権に対する論調では、「自衛隊員の命」をうたい上げ始めた。
ツイッターなどに、現役自衛隊員を装った書き込みで「集団的自衛権に対する懸念」を書きこんで、挙句の果てに、偽自衛官であることを突き止められて書き込みを消す、といった醜態をさらしていたりする。

1970年代から、運動家のお兄さんたちを観察してきた俺には、現在の反戦運動家たちの軌道修正や、自衛隊員なりすましは滑稽でしかたない。
当時から、まったく変わらぬメンタリティーの団塊世代の左翼政治家に、「いいかげん大人になれよ」と肩をすくめて苦笑するしかない俺がいる。


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薔薇の刺青(タトゥー)/自転車の夏・栗林元
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by hajime_kuri | 2014-07-15 21:01 | 時事 | Comments(0)

描写と説明

 小説の中身は、情景や行動の「描写」と、舞台背景や世界観などの「説明」で成り立っている。
 描写により、状況や心理や光景などが生き生きと描かれる。シナリオ作法でまず教わるのが、「描写で説明せよ」ということで、よく例に挙げられるのが喫茶店でカップルがコーヒーを飲むシーン。

何も言わずに、相手のカップに角砂糖を入れてあげる場合は、現在交際中。
「砂糖はおいくつ?」と聞いた場合は初対面。
「三つだったっけ?」と、聞いた場合は、久しぶりに再会した二人。
といった具合に、地の文で、彼女との関係をあえて説明しなくてもいいのだ、と教わるのである。

 しかし、全編を描写だけで描くことは不可能だ。説明や解説でてきぱきと進めなければならない場合もある。企業小説などでの解説や、歴史小説での時代背景の説明は、不可欠の要素である。
 また、説明や解説を多用することで、感情を廃した乾いた独特のムードを生み出すことができる。
 例として、小林恭二氏の「ゼウスガーデン衰亡史」がある。これは下高井戸オリンピック遊技場といううらぶれた遊園地が、天才的な経営手腕でゼウスガーデンという巨大アトラクションパークとして人間の欲望と快楽を吸収していく歴史を、ローマ帝国衰亡史のような歴史書スタイルで描いたもので、全編が説明である。
 また、大藪春彦氏の作品における「銃」「車」「猟」に関する説明は、それ自体が作品の魅力の一部になっている。
 描写で描くべき部分と説明ですますべき部分。描写でなければならない部分と、説明でなければならない部分。その匙加減を「体得」するのも、小説を書く技術なのである。


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by hajime_kuri | 2014-07-14 22:47 | 小説指南 | Comments(0)
 初めて小説を書いた人が、やってしまいがちなことに、主人公の容姿や外貌を丁寧に描写するということがある。
 ハードボイルド小説の場合なら、「短く刈り込んだ髪」とか「彫刻刀でそぎ落としたような荒削りな顔に、目だけがギラギラと光っていた」とか描きがちだし、つまり作者の好みのイメージをこれでもかと描写してしまうわけである。
 しかし、市場に出ている多くの小説を見ていただくとわかるのだが、主人公の容姿や外貌を描いている作品は、圧倒的に少ない。
 なぜだろうか。
 作品を読むときに、主人公の外貌が描写されていることにより、「俺はメガネかけてるし」「私はぽっちゃりしているし」といったつまらないことで、読者の感情移入をじゃましてしまうことがあるのだ。特に、ごく普通の人が主人公という作品こそそれが顕著である。
 そこで、多くの作家は、物語に関係がない容貌などは描写せず、読者のイメージや想像に委ねるのである。
 そうでない場合もある。主人公や登場人物が、その容姿や外貌に、「コンプレックスを持っている」「自信を持っている」「利用している」等、物語の中での行動や判断に重要な意味を持っている場合は、当然丁寧に描写しなければならない。
 また群像劇の場合も書き込みが必要だ。大勢をかき分ける必要のためでもあるが、いろいろな個性の登場人物たちが活躍する物語の場合、読者は「ああ、このキャラは俺だ」と自分に近いキャラを選んで感情移入して物語に「参加できる」からである。

 こういった描写の必要、不必要の判断、これも作家修行者が、体得すべき重要なポイントである。


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by hajime_kuri | 2014-07-13 10:56 | 小説指南 | Comments(0)

小説を書く動機

 小説作品を書く動機はどこからくるのだろうか。
 世の中の作家がすべてそうだとは思わないが、私の場合は次の三点が動機である。

1、今までにない、面白いストーリーを思いついた
2、世間や人に言いたい「意見」や「考え」がある、訴えたいことがある
3、こんな光景やシーンを描写したい、言葉で伝えたいイメージがある

 この三つが渾然一体となって、執筆意欲になるわけである。
 具体的には、2と3は、日常生活の中で、いつも念頭にあることで、思いつくたびに頭の中にストックしていき、1の面白いストーリーを思いついた時に、そのストーリーを補強するために、2と3が動員されるのである。これは、私がエンタメ系の書き手であるせいもあろう。

 具体的に私の場合の例を挙げてみよう。
 以前、「神様の立候補」という衆議院選挙をネタにした小説を書いたことがある。きっかけは、広告会社の営業として、さる泡沫候補の選挙広告を扱った体験をしたことだ。その候補者先生は、神様のお告げで立候補をされたという方で、その方の政見放送の収録などにも立ち会った。通常の人なら決して体験できないことを体験できて、「これは小説にできる」と思ったのがきっかけである。
 さらに、その一風変わった候補が、小さくひ弱な老婦人で、そのおばあさんの広告扱いを獲得するために、大新聞社や広告会社の社員が右往左往するという滑稽さがストーリーの核なので、「高齢者問題」、「宗教と政治」、「選挙とマスコミ」などいつも自分で感じていたことを盛り込んだ。
 実際に社会で問題になっていることに対する視点を描くだけで、ストーリーにぐっと現実味が出て、さらに深みも増すのである。これをやらないと「単なるお笑い」で終わってしまい、読者の心に何かを残すことができない。
 この作品の舞台になった選挙は、ちょうどオウム真理教が教祖・松本を擁立した選挙で、社会的にも「宗教と政治」「若者と宗教」がクローズアップされた時期であった。今なら、別のアプローチもできたかもな、と思っている。

※「単なるお笑い」と書いたが、これは「単なるお笑い」をバカにしたわけではない。「単なるお笑い」は、これはこれで、深い覚悟がなければ書けない世界で、これほど難しいものもないからである。「笑い」に関しては、また、別の機会に書いてみたい。


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by hajime_kuri | 2014-07-13 00:08 | 小説指南 | Comments(0)
個人レッスンを提供する、「咲いた(Cyta).jp」で、小説の書き方をコーチングする、「小説指南」という講座を持つことになった。あまたの文芸教室とは一線を画して、マンツーマンで小説を書きたいと志した方が、処女作を書き上げることを目標としている。
スクールサイトにて、小説を書こうという人たちに役立つ記事を書いているので、こちらのBLOGでも紹介して宣伝するつもり。カテゴリーは「小説指南」。まずは、開講の辞を転載しておく。ご興味をもたれた方は、リンク先をご訪問いただきたい。エリアは、名古屋市を中心とした愛知県尾張地区。

開講の辞

 「指南」とは中国古代の指南車に由来する言葉だ。馬車につけられた仙人の人形が機械仕掛けで常に南の方角を指すように作られていた。転じて武術や芸術などを指導することを指南というようになった。
 今回、小説の書き方、味わい方をコーチすることになりコースの名前を考えたのだが、「小説教室」だと実制作に沿ったマンツーマンの良さが伝わらないし、「小説講座」だと座学中心のイメージになる。実際、作家としては無名の自分には教室や講座の「先生」なんて気恥ずかしいし罰が当たりそうだ。
 ここはやっぱり、プロフェッショナルに金で雇われたコーチってのが一番ふさわしい。となると、口座名は「小説指南」しかないだろう。これが講座名の由来である。

 さて、このコースでは、「小説を書いてみたい」という方に、その作品を書いてもらいながら技術的な指導をする。技術は実際に書きながら修得するものだからだ。ただ、中には「書きたい」けど何を書けばいいのかわからないという人もいるだろう。
 実は、従来の入門書や教室では、その部分がなおざりにされていることが多く、「何を書けばいいのかもわからない人は、元々小説を書く人ではない」と切り捨てられていた。
 だが、これだけ多くの人に愛読される表現形式である小説。それを書くことだけが、それほど特殊なことなのであろうか。私は、それは違うと思う。
 小説が好きな方なら、だれでも小説は書ける。書きたいものが見つかる。ただ、それが多くの読者を獲得するかどうかは、内容とセンス次第である。
 この講座では、受講者の方が書きたいものを見つけて実作に取りかかれるようにしたい。その上で、最初の作品を書き上げるところまで寄り添いたいと思っている。昔と違い現代では、書き上げた作品を自力で電子書籍化して市場に出すことができる。最近では、新人作家の発掘はコンテストだけではなくネットの電子書籍からのスカウトも多いのだ。

 「小説指南」とは銘打っているが、小説にとどまらず、ゲームや映像のシナリオなど、「ストーリー型コンテンツ」の作家を目指す方は、どしどしとご応募いただきたい。
 私自身、高校大学の頃はマンガを描いていたが、物語る速度と手法が小説に向いていると気づいて転向した人間である。映画とテレビドラマのシナリオなどにも挑戦したことがあるし、広告マンのディレクター時代にはラジオ番組にも関与した。すべては共通の土台である。

 スタートラインに立つための「書きたいもの」を見つけることは、実は日常生活を作家の目で過ごすことから始まる。見ること、聞くこと、体験すること、感じること、うれしいこと、悲しいこと、悔しいこと、恥ずかしかったこと、それらすべてが作品のネタなのだ。今まで、やり過ごしていたこと、考えないようにしていたことを意識化し、客観視する事で、作品化できる。
 悔しい思いや悲しい思いを、普通の人間が語れば、それは「単なる恨み節」だが、いやしくも作家が書くならば、それは「作品」として万人の共感を得るものになっていなければならない。そして、その体験を「恨み節」を超克した「作品」として書き上げることができた時、作家は、自分がその悲しみや悔しさを克服していることに気づくのである。
 これは、うつを病んで休職経験がある私自身の体験から実感したことだが、作家の目で日常を生きると、どんなつらい現場に直面しても、自分の体の1メーターほど上空から自分を見下ろしているもう一人の小説家の自分がいて、「これは、いいネタができた。こんな経験した奴は少ないぞ」とほくそ笑んでいるのである。

 小説家マインドを持つと、間違いなく「強くは成れる」のだ。これは、悪くないと思う。

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by hajime_kuri | 2014-07-11 22:45 | 小説指南 | Comments(0)