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「読書記録」を中心に、読んだ本、見た映画の記録、書評、ブックガイド、その他日常の徒然ね。


by hajime_kuri

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作品の中に象徴を入れる

 今回は作劇におけるテクニックの一つとして、「象徴となるものを入れる」ということを説明しよう。
 最初に例に上げるのは、映画「リトル・ミス・サンシャイン」。これは、2006年のアメリカ映画で、第79回のアカデミー脚本賞を獲得している。

 大まかなプロットは、以下のようなもの。ニューメキシコに住む家族の物語である。末娘のオリーブが西海岸で開催される「リトルミスサンシャイン・コンテストへの出場資格を得る。大喜びの彼女を出場させてやりたい、しかし費用その他の問題があり。父さんの運転する車で行くしかない。それで、止むなく家族全員がワゴン車でカリフォルニアまで旅をすることになるのである。

 家族は一人ずつそれぞれ夢や悩み(ゲイである、とか空軍に入りたいとか)を抱えている。旅の途中はトラブルの連続だ。まず、彼らの乗る黄色いワゴン車が故障してギアがセカンドからしか入らなくなる。発進するためには、家族全員で車を押して、速度を上げてからギアをつないで飛び乗るしかない。古い車で部品が届くのを待っていてはコンテストは終わってしまうから、彼らはその車で旅を続けるのだ。
 旅の間に、家族の一人一人が自分の問題に直面して、それに打ちのめされることになる。そのたびに家族の(主に末娘オリーブの無邪気さ)優しさに癒されていく。旅の最後では、そのオリーブにピンチが訪れるが、家族が全員で彼女を守る。結果的に家族全員の夢はすべて破れるのだが、家族達は旅の前よりもお互いを理解し絆が深まっていることを知る、というお話だ。

 この作品の中では、「ギアの壊れた黄色いワゴン車」が、家族の象徴として機能していることに気づく。最初は文句を言って車を押していた家族達だが、ラストシーンで「さあ、家へ帰るぞ」と車を押すときには、息もぴったりのチームワークで車を押して飛び乗っていく。
 「みんなで力を合わせなければ、動くこともままならない車」の物語は、「みんなで力を合わせれば壊れた車で旅すら可能だ」という物語として幕を下ろすのだ。

 この「象徴」は、車のようなモノだけではない。次に例に上げるのは、最近の作品「永遠の0」。この作品では、主人公の祖父・宮部という戦闘機パイロットが「日本」という国家の象徴として描かれている。
 「臆病者、卑怯者」と言われた祖父・宮部の話を関係者に聞いて回る主人公が、やがてその真実の姿を知るという物語だ。このストーリーには、戦後の教育で作者の百田氏や同世代の私が習った太平洋戦争史観が、その後の読書体験などから、決して公平なものではなく、ある種のバイアスのかかった歪なモノではなかったのかと気づく過程が重ねられている。
 作者の百田氏は、この作品では「戦争」を描きつつ「戦後」を語っているのである。
 このような語り方を可能にするのも「象徴」である。

 「象徴」をうまく利用すると作品自体の印象が読者の心の中によく残るようになる。
 実はこのような手法は小説や映画にとどまらず、広報宣伝やマーケティングなどにも利用されている。元・広告マンの私が言うのだから間違いない。ただ、私の在職中には、そのような仕事には、縁がなかったけどね(苦笑)。

 みなさんも自分の作品の中で「象徴」となるモノを意識してみては。

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by hajime_kuri | 2014-11-24 12:51 | 小説指南 | Comments(0)

作品に新機軸を盛り込む

 小説を発想するとき、過去の作品、自分の好きな作品から影響を受けることが多い。むしろ大半がそれかもしれない。
 しかし、それが模倣や剽窃ではなくオリジナル作品として成立するためには、必ず「新機軸」や「新発想」がなければならない。イノベーションである。

 吸血鬼・ヴァンパイアをモチーフにした作品を例に取ろう。
 吸血鬼を題材にした最初期の作品は、誰もが知っている、ブラム・ストーカーの「吸血鬼ドラキュラ」とシェリダン・レ・ファニュの「吸血鬼カーミラ」である。
 ドラキュラは吸血鬼の強力で邪悪な力と戦う物語で、「恐怖」を主軸に描かれる。「カーミラ」は魅力的な女吸血鬼を登場させ、同性愛的なエロスを描いている。この恐怖とエロスが長い間、吸血鬼小説の題材であった。

 そこに新機軸を持ち込んだのが、リチャード・マシスンのアイ・アム・レジェンド (ハヤカワ文庫NV)旧題「地球最後の男」(1964)である。謎の伝染病で人類がすべて吸血鬼になってしまった世界で、唯一普通の人間として生き延びている男の戦いを描いたもので、「ヴァンパイアの伝染性を社会の同調圧力などの暗喩としても使えることを示唆」した作品である。
 この作品の延長線上に登場したのが、スティーブン・キングの傑作「呪われた町」(1975)。アメリカのメイン州にあるセイラムズ・ロットという田舎町で、住人達が一人また一人と吸血鬼に成っていき、最後は町全体が吸血鬼の町になっていく様を描いた作品である。「地球最後の男」に、街の人間が一人また一人と宇宙人に変わっていくという、ジャック・フィニイの「盗まれた街」を合体させたわけだ。

 いっぽう「カーミラ」の方はどうか。こちらは恐怖よりはエロスや愛を描いている。後に続く作家達は吸血鬼の力よりは、「不死」という側面をとらえ、「永遠」を描こうという作品を生んでいった。その代表にして傑作の一つが萩尾望都の「ポーの一族」であろう。少年と少女として永遠に生き続ける主人公達が出会う愛のエピソード。また不死だからこそやってくる愛する人たちとの永遠の別れ。この「不死故の悲しみ」が新機軸である。
 この作品の延長線上に登場するのが、ルイス・ガネットの「700年の薔薇」(1999)とかステファニー・メイヤーの「トワイライトシリーズ」だ。

 そして、キングの「呪われた町」から生み出された傑作が小野不由美の「屍鬼」(1998)だ。彼女自身が「呪われた町」に対するトリビュート作品であると語っている。
 まだ土葬の習慣が残る人口1300人の外場村。この村の住民が一人また一人と吸血鬼に変わっていく様を描いた作品である。「呪われた町」と同じじゃないかと思われるだろうが、この作品にはやはり新機軸が持ち込まれている。
 吸血鬼とは、昼間は活動ができず、日の光で死んでしまい、食料も入手しにくい血液である。つまり吸血鬼を守る人間の僕が不可欠なのである。その僕になる人間はどんな気持ちからそうなるのだろうか。これを描ききったところが凡百の吸血鬼モノと「屍鬼」との違いである。
 これと同じものに活劇要素を加えた傑作が、真崎 建三の「貧血症気味の薔薇ーアネミックローズ」(1996)である。この作品の主人公は美貌の女吸血鬼を守る青年で、「屍鬼」にも影響を与えたのではないかと推測している。

 世に溢れる吸血鬼物語だが、作家達が過去の作品をなぞりながら、いかにして新機軸(イノベーション)を盛り込んでいったかがおわかりいただけただろうか。
 実は、私も吸血鬼もの作品を構想中である。当然、私独自の新機軸も盛り込むつもりで、それが無ければ書こうとは思わない。12月から友人達と、「電子パブ」という電子書籍の無料PR誌を配布予定だが、その3号から連載を予定している。

 小説を書こうとされる方。「こういう話は、散々書き尽くされているからなあ」と怯んではいないだろうか?
 大丈夫、書き尽くされた物語は、それだけ人気があるという事だ。誰も考えなかった新機軸を盛り込めれば、必ず新しい作品になるのである。 

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by hajime_kuri | 2014-11-16 12:46 | 小説指南 | Comments(0)

人間を描くとは

 小説を書き始めて最初の頃は、おもしろいストーリー、新奇で斬新な物語の舞台や世界観などにこだわっていた。誰も考えたことがない、誰も読んだことのない作品が書きたいわけである。
 何作か作品を書いて、作者としての視点が育ってくると、他人の作品を読んでいても作者としての目で読むようになる。
 やがて私の興味は、そのストーリーを通して、主人公や登場人物の心がどう変わっていくかということに変わっていった。
 この登場人物の心の成長や気づきが、物語に「ああおもしろかった」以上の、余韻を与えることに気づいたのだ。そして、エンタメ小説に共通する「公式」や「お約束」がわかってきた。
 プロットとエンディングで例を上げてみよう。

・打算と利害でチームを組んだメンバーが宝を手に入れるために冒険に挑む。
 エンディング。宝を手に入れることには失敗したが、冒険を通してチームに芽生えた友情こそが本当の宝であることに気づいた。
 この変形としては、親友同志が同じミッションに挑んで、宝は手に入れたが、本当の宝である友情を失った、という喪失感で話を終えるとかがある。

・大切な人を殺された復讐をする。
 エンディング。復讐には成功したが、そこには何の満足感もなくむなしさだけが残った。
 こちらの変形としては、復讐はできなかったが、許すことによって相手は自分の本当の非を悟って自滅するとかがある。

・ばらばらの家族、その一人一人が挫折と悲しみを体験する。
 エンディング。一人一人がつらい思いをしたが、家族が力を合わせることで家族の絆は深まった。
 この典型的な物語は、私の大好きな映画「リトル・ミス・サンシャイン」だ。

 また、同様の「お約束」としては、主人公に一つ弱点を作り、物語を通してその弱点を克服させるということもある。この弱点は色々あり、「~恐怖症」とか「劣等感」とかを設定しておいて、それを克服しないとミッションが終了しないように物語を進めるわけである。

 昔のシナリオ作家の方などは、これを「主人公には業を背負わせて、ラストでそれに落とし前をつける」と言うように表現されたと聞いたが、言い得て妙とはこのことだと合点した覚えがある。

 このようなキャラクターの心の軌跡は、読者や観客がだれでも経験があることなので、それだけに共感して感動できる。
 ただ、これをうまくやらないと、単なる冒険小説につまらんメロドラマを持ち込みやがって、と反感を買うことになる。
 すべては、さじ加減なのである。

 文学作品においては、この人間の心の動きそのものが主題になってくる。いかにして、主人公は気持ちに決着をつけたのか、この主人公をさいなむ気持ちの原因は何で、どうなるのか、と。それを描くためにストーリーができている。

 エンタメと文学作品は、人間の心を描くのは共通しても、アプローチの仕方が正反対という事なのだろう。

 こういった約束事を十分理解すると、はじめて、それから自由な作品を書けるようになる。もう名人と言っていいだろう。


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by hajime_kuri | 2014-11-03 10:43 | 小説指南 | Comments(0)