「読書記録」を中心に、読んだ本、見た映画の記録、書評、ブックガイド、その他日常の徒然ね。


by hajime_kuri

<   2015年 06月 ( 3 )   > この月の画像一覧


 「マッド・マックス」シリーズは一九七九年の第一作から一九八五年の第三作まで、近未来の荒廃した地球を舞台にカーアクションを中心にすえた活劇映画である。特に第二作は、「モヒカン頭の暴走族」、「アイスホッケーのフェイスガードの悪の帝王」、「フットボールのプロテクターを鎧風に使った戦士の衣装」、「凶暴なデザインの改造車」など、その後のディストピア・ポストアポカリプス物語の原型となる数々のアイテムを生み出した物語で、マンガ「北斗の拳」を代表とするエピゴーネンをうんざりするほど生み出した。見た者にそれだけ衝撃を与え、アクション映画に革命を起こした作品だったのだ。

 「マッド・マックス・怒りのデスロード」は監督ジョージ・ミラーが三十年ぶりに公開する第四作だ。今回は、この作品と旧作を比較して、以前も語った「同時代性」を出すために監督ジョージ・ミラーがどのように物語を作ったかを具体的に考えてみる。

 今回の世界は、前作よりもさらに荒廃の進んだ核戦争後の世界である。第二作ではガソリン、第三作ではメタンガスで作る電気が支配構造を形作る戦略物資なのだが、今回はそれが水である。さらに大半の登場人物が放射能等の障害を持っていて短命である。女たちは子供を産む道具であり、乳を出す資源でもある。第二作の冒頭には暴走族にレイプされる女のシーンがあるが、デスロードでは女は性欲の対象ですらないほど世界の荒廃が進んでいるのだ。
 冒頭、イモータン・ジョーにとらわれたマックスは健康な血を供給する生きた輸血袋にされるぐらい、人間はモノなのである。

 第二作の敵は、暴力で支配する暴走族ヒューマンガス。第三作では、秩序のためには恐怖政治も厭わない統治者アウンティ。今回は、死後の栄光を約束するカルト的宗教支配者イモータン・ジョーだ。配下のウォーボーイズは、勇敢な死に様を競い合うような連中で、まさにこれはイスラム原理主義のテロリスト集団を思わせる。

 第二作でマックスが守ることになるのは、自由と安全を求めて旅立つコミュニティーで「女、子供、家族」という自由や平和を象徴する者たち。第三作では、「知識、子供」という未来への希望を象徴する者たちだった。今回は、「抑圧された女たち」である。フェミニズムなどで語る者もいようが、彼女たちはもっと大きな「人間の尊厳」「再生のための希望」を象徴する者だ。
 前半の砂嵐の後、マックスが初めてフェリオサと彼女が逃がそうとする女たちと出会うシーンの美しさはどうだ。守らなければ壊されてしまうほど弱くてはかないが、それだけに大切な「人間の尊厳、再生の希望」に他ならない。このシーンの女たちはボッティチェルリの「春」を思わせるし、その前の砂嵐のシーンはまさに「テンペスト」。宗教的な暗喩すら感じさせる。

 全作までは、「逃げ切る」ことがクエストの完了だったが、今回は、水のある場所を「奪い返す」ことがクエストの完了になっている。またカルトの教祖の化けの皮をはぐというのもあるだろう。

 全編を疾走する活劇にするための設定とストーリーだが、現代に再生するにふさわしい工夫が込められている。

 さらにエピゴーネンに真似られて手垢の付いた造形(モヒカン、フェイスガードなど)は一切出てこない。改造車のイカレっぷりはさらにパワーアップしている。

 ここで気がついた。ジョージ・ミラーは全作と同じ「物語」ではなく、全作と同じ「驚き」を作りたかったのだと。そして、これこそ私たち前作のファンが待ち望んでいたことなのだ。ネットを駆け巡る作品の感想が、ほぼ称賛一色なのはそのためなのだ。

マッドマックス 怒りのデス・ロード [Blu-ray]



小説指南 | Cyta.jp


(広告)

作者・栗林元は小説を書いています。よろしければお読みください。(Kindle版です)

1988 獣の歌/他1編

神様の立候補/ヒーローで行こう!

盂蘭盆会●●●参り(うらぼんえふせじまいり)他2編

薔薇の刺青(タトゥー)/自転車の夏
[PR]
by hajime_kuri | 2015-06-30 19:34 | 小説指南 | Comments(0)

 芸人・又吉直樹さんの「火花」を読了。久しぶりにしっかりした職業小説を読んで満足した。作品は正統派の小説で、感心したのはしっかりとした描写力だ。

 冒頭、熱海の花火大会のイベントでの営業で、地元老人会のカラオケが押して、花火が始まった中で漫才の舞台を勤める新人芸人の心や、彼に「かたきとったる」と言って舞台に上がる先輩の神谷さんの姿など、このシーンでぐいぐいと作品に引き寄せられた。

 実際のリアルな芸人生活から得られた体験を、しっかりとした描写で語る力に感心した。
 芸に向き合う若者の一直線で不器用なところは、誰もが抱えたことのある気持ちの延長線上にあり共感できる。

 漫才・落語といった話芸は観客の反応を観ながら舞台をかさねてブラッシュアップされる。それは作者自身という最強の読者の推敲を重ねて作られる小説の執筆過程と同じである。
 又吉さんの小説を読んで、「話す」と「書く」の違いはあれども、小説もまた「話芸」であると改めて気づかされた。

火花


小説指南 | Cyta.jp


(広告)

作者・栗林元は小説を書いています。よろしければお読みください。(Kindle版です)

1988 獣の歌/他1編

神様の立候補/ヒーローで行こう!

盂蘭盆会●●●参り(うらぼんえふせじまいり)他2編

薔薇の刺青(タトゥー)/自転車の夏
[PR]
by hajime_kuri | 2015-06-27 16:23 | 小説指南 | Comments(0)
 自分の若い頃を振り返って思い出すのは、意図せずに出てしまう「あいまいな表現」である。

例 場末のマンション

 この場末のマンション、自分では歓楽街に隣接して、高級そうな外観とは裏腹に、風俗嬢やヤクザなどが出入りする荒みきった賃貸マンションのつもりで書いているのだが、作品内では、「場末のマンション」の一言ですませてしまっている。
 これでは通じない。だめだよ若い頃の俺。

 レッスンで拝見した作品にも同様の例があった。

例 魔物

 その魔物は、中世ヨーロッパ風のヒエロニムス・ボッシュの絵(最近だと三浦健太郎さんの「ベルセルク」系ね)に出てくるようなものなのか?それとも北欧神話、ギリシア・ローマ神話、ケルト、近代アメリカのラブクラフト的なもの、生物としての法則に合致する生物的なものなのか、生物と非生物とが混在するキメラのような化け物(諸星大二郎風とでもいうか)なのか。といった読者の思いをよそに、作品内では「魔物」の一言ですませている。これでは通じない。

 読者のイメージと作者のイメージは、一致しないことが多い。
 曖昧なまますませてよいものもある。主人公の顔立ちなどは、読者の想像にお任せしてしまって全く問題がない。

 また、読者対象によってすでに共犯的に共有されているイメージもある。
 ライトノベルの世界やオタク系の界隈では、「妹」という単語に、「年下の女の兄妹」という意味意外にも、「小憎らしいけど可愛くて、男の子を翻弄するわがままなお姫様」といったイメージがあるが、そんなことを知っている高齢者はよほどの変人だろう(俺のことかよ、笑)。

 ライトノベルが閉鎖的で内輪的に語られるのはそのためだ。それはなにもラノベに限った話ではない。
 「なんだか『俺いも』みたいな話だね」というセリフがラノベファンにしか通じないように、「まるで安珍と清姫だね」というセリフも年寄りにしか通じない。
 読者にイメージが伝わるよう、このイメージの共有具合も作家のさじ加減が要求される。

 ただ、最前、例にあげた世代やフォーラムによる共有イメージや言語をうまく使うと、すごくリアルな人間関係や会話を作品内に登場させることができる。これは普段から、作家的な目で世間を観察することが重要だろうね。


小説指南 | Cyta.jp


(広告)

作者・栗林元は小説を書いています。よろしければお読みください。(Kindle版です)

1988 獣の歌/他1編

神様の立候補/ヒーローで行こう!

盂蘭盆会●●●参り(うらぼんえふせじまいり)他2編

薔薇の刺青(タトゥー)/自転車の夏
[PR]
by hajime_kuri | 2015-06-02 11:24 | 小説指南 | Comments(0)