「読書記録」を中心に、読んだ本、見た映画の記録、書評、ブックガイド、その他日常の徒然ね。


by hajime_kuri

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 小説を書いていて、もうすぐラストだというところまで来ると、とりあえずゴールにたどり着くために「書き急いでしまう」ときがある。
 今書いている作品でちょうどいいケースがあったので、それを例にして解説する。

まずは、例文。

 開ける八月十七日。早朝の陸軍・伊那飛行場に国籍表示のないDC8がひっそりと着陸した。
 停戦状態二日目の朝。すでに空港には緊張感がなく、管制の兵も二人だけだった。前夜に陸軍の軍務局から連絡があったので、怪しむものは誰もいなかった。
 朝日を浴びる機から降りたのは、平服の東洋人が一人だった。
 迎えたのは、陸軍第九技術研究所の水野軍医少尉だった。機体すぐ横まで車を寄せていた。
 東洋人は、流暢な日本語でアメリカ軍の軍属である「アーノルド・シミズだ」と名乗った。
 本来の占領軍よりも早い来日である。昨日、大本営から全軍に停戦命令が出たばかりで、停戦内閣の東久邇宮内閣が本日成立する予定であった。講和条約の調印は来月だと見られていた。
 それ故に、正規の軍人としてではなく軍属としての隠密来訪なのであった。
 水野軍医少尉は、「研究所で石井がお待ちしております」と言った。

そして、その修正後。

 開ける八月十七日。早朝の陸軍・伊那飛行場に国籍表示のないDC8がひっそりと着陸した。
 停戦状態二日目の朝。すでに空港には緊張感がなく、管制の兵も二人だけだった。前夜に陸軍の軍務局から連絡があったので、その着陸を怪しむものは誰もいなかった。
 機体に向かって一台の乗用車が近づいて停車した。
 朝日をぎらりと反射する機体のドアが開き、平服の東洋人が一人だけ降り立った。
 車のドアを開け、軍服の男が一人降りてきた。平服の東洋人と握手をし、「陸軍第九技術研究所の水野軍医少尉です」と言った。
 東洋人は、流暢な日本語で「アメリカ軍スタッフのアーノルド・シミズです」と名乗った。
 本来の占領軍よりも早い来日である。昨日、大本営から全軍に停戦命令が出たばかりで、停戦内閣の東久邇宮内閣が本日成立する予定であった。講和条約の調印は来月だと見られていた。
 それ故に、正規の軍人としてではなく軍属としての隠密来訪なのであった。機体ぎりぎりまで車を寄せたのも人目を避けるためだろう。
 水野軍医少尉は、「研究所で石井がお待ちしております」と言った。

 最初の文では、まるで歴史書の文である。ストーリー上はこれでも構わないが、このシーンに出てくる人物は、この後のクライマックスシーンでも事件を目撃し、後のシリーズにおいても重要な役割を負う予定だ。そこで、説明ではなくシーンとして描写することにしたわけである。

 若いころの自分は、このあたりの感覚が疎くて、すかすかの作品を書いていた。だから二次予選で落ちてたんだよってことが、この年になってわかるわけである。

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by hajime_kuri | 2016-10-19 09:39 | 小説指南 | Comments(0)
 この問題、新聞報道などでは「過労死」と報じられている。内容も「労働時間」の話題ばかり。大いに違和感がある。
 やはり二十代の娘を持つ父親たる私は、子を失った親御さんの気持ちを想像すると、この問題に言及することすら申しわけない気持ちになる。だが、やはり、言わずにはおられない。

 この問題、私は労働時間だけの問題ではないと思う。
 初めての業務に際して、困ったり教えてほしいと思ったときや、間違えたりしたときに、上司や先輩や同僚から「東大なのに~」というようなハラスメントが、繰り返し繰り返しあったのではないか?
 そのせいで、それが嫌で誰にも助けを求められずに一人で仕事を抱え込んでしまったのではないか。そのため、成果物が不十分になり、さらに「東大なのに」と言われたのではないか?
 それを挽回するために、たった一人で仕事をこなそうとして労働時間が伸びたのではないか?

 私は、以前の勤務先(広告会社)を「うつ」で退職している。その経験から判断すると、そこまで追い込まれると、周囲の者の「咳払い」や「溜息」すらナイフで刺されたような苦痛になるのだ。誰もそれに気づけなかったのではないか?

 マスコミでは、労働時間、労働時間と問題にしているが、「社内のいじめやハラスメント」の問題を、「労働時間」問題に矮小化しようとしているのではないか?
 問題をすり替えようとしているのではないか? 
 各メディアの広告扱いの半分近くを持つ広告会社とはいえ、天下の公器に、さすがに事件そのものを報道しないでとは、言えないであろう。
 だからこそ、よりダメージが少ないように、「社内のいじめやハラスメント」の問題を、「労働時間」問題に矮小化しようとしているのではないか?

 そんな警鐘を鳴らしたいが、そんな論者はマスコミ全体を見渡しても一人もいない。メディアにおけるコメント料や謝礼やギャラは、その原資が「広告料」だからなのか?

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by hajime_kuri | 2016-10-15 15:38 | 時事 | Comments(0)
 作家は物語の必要に応じて情景を描写していく。アニメーターが背景を描くようなものだが、そこにも巧い下手はある。よくやってしまうのが作家都合で描写してしまうということ。
例文を作ってみた。

1、
 いくらノックをしても返事がない。まだ寝ているのだろうか。そう思って寝室のドアを開けた。
 部屋の中は、いつものように、至る所に本が積み上げられていて、机の上には書類の束が乱雑に散らばり、コーヒーカップが一つ置いてある。そしてその机の前のいすに背を預けた老人が、不自然な角度で天井を見上げている。半開きの口から喉にかけ、乾いた涎の流れた痕。目を見開いたまま息絶えたようだ。

それを改稿したのが次
2、
 いくらノックをしても返事がない。まだ寝ているのだろうか。そう思って寝室のドアを開けた。
 デスクの前のいすに背を預けた老人が、不自然な角度で天井を見上げている。半開きの口から喉にかけ、乾いた涎の流れた痕。目を見開いたまま息絶えたようだ。
 部屋の中は、いつものように、至る所に本が積み上げられていて、机の上には書類の束が乱雑に散らばり、コーヒーカップが一つ置いてある。

 わかるだろうか。1の方は、作家が頭の中で情景を思い描く過程どおりに描写された情景。そして2の方は、作中の登場人物がドアを開けてから目に飛び込んできたであろう順に描写した情景だ。
 作家は、舞台設定を考えて状況を描くが、登場人物が、人が死んでいる部屋に飛び込んだら、まず目にはいるのは死体の方で、周辺の状況はその後だろう。

 一心不乱に脳味噌を回転させて物語を綴っていると、往々にしてこういう事をしでかしてしまう。作家の脳内ではお約束になったことも、初見の読者の気持ち、実際に現場にいる登場人部の気持ちになることが大切なのだ。
 そのためにも、作品を書き上げたあと、脳をまっさらにリセットして読み直す過程が必要なのである。


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by hajime_kuri | 2016-10-05 12:24 | 小説指南 | Comments(0)
 今回は、作品の感想文を書いてみた。文豪・志賀直哉の「雨蛙」という作品である。ストーリーは、文学趣味の若い亭主・賛次郎がその興味のない妻に文学趣味の会合に参加させて、不良作家からひどい目に遭わされて後悔する話である。興味がある方はどんな図書館にもあるのでお読みいただきたい。

 賛次郎にとって文学趣味は、家を継ぐために都会に残してきた高等遊民(労働せずに文化芸術に耽るインテリ)としての生活を象徴している。
 健康で美しい妻せきの唯一の欠点が、この文化芸術、特に文学趣味に対する興味がないことで、彼はそれを「目に光がない」と言って不満を持っている。
 都会から来た作家を囲む地方文芸の集いにせきを参加させることで、結果として妻につらい体験をさせて夫婦の距離さえも遠ざけてしまう話である。

 作者の描写を読むだけで、一見愚鈍なせきと、インテリの女教師山崎の対比は明らかで、作者がどちらの女性を好ましく思っているかまで判る。
 作家連中の描写にも、「文学をやっている」事に対する夜郎自大なプライドを感じさせる。
 賛次郎や、山崎女史の軽薄さは、文学趣味をもってプライドとする浅はかな地方文壇の世界を象徴し、一方、「目に光のない」と思っていた妻せきの本当の可愛さは、二人で過ごす慎ましやかな自分の世界を象徴している。

 傷ついた妻を連れて帰る途上、雨蛙の夫婦を見て、地に足の着いた慎ましい日常の大切さに気づいた賛次郎は、いつもの村が久しく見なかったように新鮮で大切に映る。それに気づいたからこそ、書棚の中の小説と戯曲を焼き捨てたのである。

 志賀直哉には、作品ではなく作家であることにこだわる軽薄な文人たちや、彼らの一般人に対する上から目線に対する反感があったのかもしれない。そんな想像をした。

 その上で、ネットに散見する感想や分析を読んでみたが、この文学趣味の地方文化人たちの軽薄さや高等遊民の浅はかさにふれる感想がなく、優柔不断な夫や愚鈍な妻に関する感想ばかりで驚いた。

 おそらく、文学趣味の人たちは、自分の恥部を指摘されたような気恥ずかしさを感じたのではないか。

 私は、当然、自分自身のそんな気恥ずかしさを感じたし、そういった地方文人のかっこわるさも自認している。それを正面から語れるか、隠そうとするかの違いが、小説を「読む人」と「書く人」の違いであろうと思った。


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by hajime_kuri | 2016-10-05 12:22 | 小説指南 | Comments(0)