作品を書いて気づくことと
2015年 11月 22日
小説を書きながら気づくことがある。私の体験からお話ししよう。
私には「自転車の夏」というタイトルの自伝的青春小説があるのだが、それを書いているときの体験である。
物語は、主人公の栗本肇が大学に入学し、少林寺拳法部に入部してからの半年間に、私自身が三流私大の四年間で体験した体育会の、それも武団連合と称されるような強面の運動部での壮絶な、でも爆笑な日々を凝縮して描いたものである。
主人公の性格を描写するエピソードが以下の文。
自転車が長い坂を下っていく。
肇の自転車の隣には少し遅れて都築の自転車が並んでいた。肇の自転車は、実に頑丈な作りである。フレームは鉄で、その上ブレーキはワイヤーではなかった。サイクルといえばスポーツとか青春とかをイメージするのだが、このサイクルは正に自転車と呼ぶのが相応しく、むしろ寿司とかラーメンをイメージさせるのだ。
みんなから出前自転車などと馬鹿にはされていたが、重い上に変速ギアがないだけに下り坂は速かった。
この「出前号」は、下宿生活の足として入学時に両親から買ってもらったものだ。本当は倍ほどの値段のスポーツ車が欲しかった。フレームの材質はクロームモリブデンで重量も半分以下。ドロップハンドルもスポーティーな十二段変速というやつだ。母は生協の自転車売り場で、二台を見比べ、「お前はこういう派手なものは嫌いだろう」と言ってこの実用車を選んだのだ。親の期待に反して公立大学に落ちた身でもあり、肇は黙ってその自転車で我慢していたのだった。
「常に願望は程々にしておく」という性格、肇自身はこれを長男根性と頭の中で命名していたが、それが身についてしまっていた。
友人たちから出前号と言われる度に、そんな自分の一面を指摘されるようで嫌な気分になった。
今では、四年間この自転車で通してやる、という歪んだ決意さえ抱いている。これもやはり長男根性かもしれない。
私は、主人公の「長男根性」を象徴するエピソードとしてこの自転車を出したのだが、その後、この無骨な自転車は随所で登場する。
国鉄東海道線の上に架かる跨線橋にさしかかった。歩行者・自転車用の急な斜路になっている。半分ほど登ったところで自転車を降りて押さねばならなかった。とても上までは駆け上がれない。
主人公の体力的な成長を描写する道具として使っていたこの自転車が、やがてエピローグにも登場する。描いていたマンガが選外佳作として雑誌に載ったと聞いて本屋に急ぐシーンである。
東海道線に架かる跨線橋が見えてきた。自転車用に斜路にはなっているが、歩道橋なみの急斜面だ。いつもは半分ほど登ったところで自転車を降りて押していた。
肇はサドルから腰を浮かすと、ペダルを踏んだ。
ぐいぐいと加速する。
(今日こそ上まで行ってやる)
「出前号」は勢いをつけて斜路を駆け上がった。半分まで登って勢いが落ちそうになったところで立ち上がり、一歩一歩踏み締めるようにペダルを踏み、じりじりと登る。
スポーツサイクルならギアを落とすところだが、あいにく「出前号」は実用自転車だ。もともと変速ギアなどというしゃれたものはない。
ぎしぎしと悲鳴を上げる「出前号」に、肇は心の中で叫んでいた。
(がんばれ、がんばれ、俺もがんばる)
ほとんど止まりそうになりながら、ついに前輪が斜路を登りきった。
(やった!俺は合宿で確実に強くなっている)
そして、ふいに肇はこの無骨で決してスマートではない不器用な「出前号」に強い愛着を感じているのに気づいた。
ああ、こいつは俺自身なんだ。
そう思うと何だかこの自転車を褒めてやりたくなった。
(ようし)
ペダルに一踏み力を加えると、肇は思い切って体重を後ろにかけた。
その瞬間、「出前号」はその姿に似合わず、ぐいっ、と前輪を持ち上げると、見事なウィリー走行をやってのけたのだ。
目の高さで回るスポークにキラキラと陽光が反射する。「出前号」は胸を張って「どんなもんだい」とでも言っているようだった。
私は、このエピローグを書きながら、「運動神経がいいわけでもなく競技者になるわけでもなく、決してイケメンでもない主人公」と「変速ギアがついているわけでもなくスマートでもない出前用自転車」は同じなのだと気づいたのだ。
書いている段階で、この作品のタイトルは「月影砕くる東海に」という私の母校の逍遥歌のタイトルを付けていたのだが、この気づきの後、迷わずに「自転車の夏」にした。
この気づきの後、小説や映画を見たときなどに、物語や主人公の心などを象徴化(シンボライズ)するモノを発見する目が養われた。そして作品の中に意図してそれを仕込んだりする技巧も覚えたわけである。
実際に作品を書かなければ気付きはやってこない。
(※)現在、この作品は「薔薇の刺青(タトゥー)/自転車の夏」としてAmazonのKindleストアで販売中である。
小説指南 | Cyta.jp
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作者・栗林元は小説を書いています。よろしければお読みください。(Kindle版です)
人生はボンクラ映画・西森元
1988 獣の歌/他1編・栗林元
神様の立候補/ヒーローで行こう!・栗林元
盂蘭盆会●●●参り(うらぼんえふせじまいり)他2編・栗林元薔薇の刺青(タトゥー)/自転車の夏・栗林元
小説指南・栗林元
私には「自転車の夏」というタイトルの自伝的青春小説があるのだが、それを書いているときの体験である。
物語は、主人公の栗本肇が大学に入学し、少林寺拳法部に入部してからの半年間に、私自身が三流私大の四年間で体験した体育会の、それも武団連合と称されるような強面の運動部での壮絶な、でも爆笑な日々を凝縮して描いたものである。
主人公の性格を描写するエピソードが以下の文。
自転車が長い坂を下っていく。
肇の自転車の隣には少し遅れて都築の自転車が並んでいた。肇の自転車は、実に頑丈な作りである。フレームは鉄で、その上ブレーキはワイヤーではなかった。サイクルといえばスポーツとか青春とかをイメージするのだが、このサイクルは正に自転車と呼ぶのが相応しく、むしろ寿司とかラーメンをイメージさせるのだ。
みんなから出前自転車などと馬鹿にはされていたが、重い上に変速ギアがないだけに下り坂は速かった。
この「出前号」は、下宿生活の足として入学時に両親から買ってもらったものだ。本当は倍ほどの値段のスポーツ車が欲しかった。フレームの材質はクロームモリブデンで重量も半分以下。ドロップハンドルもスポーティーな十二段変速というやつだ。母は生協の自転車売り場で、二台を見比べ、「お前はこういう派手なものは嫌いだろう」と言ってこの実用車を選んだのだ。親の期待に反して公立大学に落ちた身でもあり、肇は黙ってその自転車で我慢していたのだった。
「常に願望は程々にしておく」という性格、肇自身はこれを長男根性と頭の中で命名していたが、それが身についてしまっていた。
友人たちから出前号と言われる度に、そんな自分の一面を指摘されるようで嫌な気分になった。
今では、四年間この自転車で通してやる、という歪んだ決意さえ抱いている。これもやはり長男根性かもしれない。
私は、主人公の「長男根性」を象徴するエピソードとしてこの自転車を出したのだが、その後、この無骨な自転車は随所で登場する。
国鉄東海道線の上に架かる跨線橋にさしかかった。歩行者・自転車用の急な斜路になっている。半分ほど登ったところで自転車を降りて押さねばならなかった。とても上までは駆け上がれない。
主人公の体力的な成長を描写する道具として使っていたこの自転車が、やがてエピローグにも登場する。描いていたマンガが選外佳作として雑誌に載ったと聞いて本屋に急ぐシーンである。
東海道線に架かる跨線橋が見えてきた。自転車用に斜路にはなっているが、歩道橋なみの急斜面だ。いつもは半分ほど登ったところで自転車を降りて押していた。
肇はサドルから腰を浮かすと、ペダルを踏んだ。
ぐいぐいと加速する。
(今日こそ上まで行ってやる)
「出前号」は勢いをつけて斜路を駆け上がった。半分まで登って勢いが落ちそうになったところで立ち上がり、一歩一歩踏み締めるようにペダルを踏み、じりじりと登る。
スポーツサイクルならギアを落とすところだが、あいにく「出前号」は実用自転車だ。もともと変速ギアなどというしゃれたものはない。
ぎしぎしと悲鳴を上げる「出前号」に、肇は心の中で叫んでいた。
(がんばれ、がんばれ、俺もがんばる)
ほとんど止まりそうになりながら、ついに前輪が斜路を登りきった。
(やった!俺は合宿で確実に強くなっている)
そして、ふいに肇はこの無骨で決してスマートではない不器用な「出前号」に強い愛着を感じているのに気づいた。
ああ、こいつは俺自身なんだ。
そう思うと何だかこの自転車を褒めてやりたくなった。
(ようし)
ペダルに一踏み力を加えると、肇は思い切って体重を後ろにかけた。
その瞬間、「出前号」はその姿に似合わず、ぐいっ、と前輪を持ち上げると、見事なウィリー走行をやってのけたのだ。
目の高さで回るスポークにキラキラと陽光が反射する。「出前号」は胸を張って「どんなもんだい」とでも言っているようだった。
私は、このエピローグを書きながら、「運動神経がいいわけでもなく競技者になるわけでもなく、決してイケメンでもない主人公」と「変速ギアがついているわけでもなくスマートでもない出前用自転車」は同じなのだと気づいたのだ。
書いている段階で、この作品のタイトルは「月影砕くる東海に」という私の母校の逍遥歌のタイトルを付けていたのだが、この気づきの後、迷わずに「自転車の夏」にした。
この気づきの後、小説や映画を見たときなどに、物語や主人公の心などを象徴化(シンボライズ)するモノを発見する目が養われた。そして作品の中に意図してそれを仕込んだりする技巧も覚えたわけである。
実際に作品を書かなければ気付きはやってこない。
(※)現在、この作品は「薔薇の刺青(タトゥー)/自転車の夏」としてAmazonのKindleストアで販売中である。
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作者・栗林元は小説を書いています。よろしければお読みください。(Kindle版です)
人生はボンクラ映画・西森元
1988 獣の歌/他1編・栗林元
神様の立候補/ヒーローで行こう!・栗林元
盂蘭盆会●●●参り(うらぼんえふせじまいり)他2編・栗林元薔薇の刺青(タトゥー)/自転車の夏・栗林元
小説指南・栗林元
by hajime_kuri
| 2015-11-22 16:35
| 小説指南