読書記録゛(どくしょきろぐ)
2021-09-11T16:35:07+09:00
hajime_kuri
「読書記録」を中心に、読んだ本、見た映画の記録、書評、ブックガイド、その他日常の徒然ね。
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状況の描写でキャラクターを伝える
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2021-09-11T16:35:00+09:00
2021-09-11T16:35:07+09:00
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hajime_kuri
小説指南
以下引用---------------------
目を覚ますといつも日没だ。カルメン・バエンズエラ・レジェスタはこのスイッチを入れるようなヴァンパイアの目覚めが嫌いではない。昔の夢を見なくてもいいからだ。
強ばった体をほぐしながら化粧台の前に座る。
鏡の中の自分は十九歳の時のままだった。もう三年以上は経ってるのに。
鏡の中の時計は左右逆になり、日没後の時刻を指している。カルメンはメイクをする手を止めて皮肉な笑みを浮かべた。
化粧台の上に乱雑に並んだ化粧瓶と口紅やブラシの間からジタンのパッケージを拾い上げ、一本を降り出すと唇に挟んだ。そして、鏡の前に置いてあったジッポのオイルライターで火を付けると大きく煙を吸い込んだ。
日没後から起き出してメイクして、常人のころから私は夜に生きてたんだ。夜の街に立ってくそったれの家族を養う為に小金で体を売る。
あのころ化粧で隠していた肌の荒れや、夜の闇でごまかしていた情夫の殴打の痣はもうなかった。日に当たらない肌は白磁のように白くなり、肉体は肉の繊維の基本から変わったかのように美しく強靱になった。
今なら、大金を稼げるのにと思った。そしてすぐに、そんな思いはゲイリーにすまないなと思った。私を救い出すために彼は死刑囚になってしまったのだから。
以上引用---------------------
カルメンというキャラクターの初登場シーンである。
注目すべきは、
・昔の夢を見なくてもいいからだ。←彼女の過去をうっすらとつたえ、さらに
・常人のころから私は夜に生きてたんだ。夜の街に立ってくそったれの家族を養う為に小金で体を売る。←と畳みかける
・化粧台の上に乱雑に並んだ化粧瓶と口紅やブラシの間からジタンのパッケージを拾い上げ、一本を降り出すと唇に挟んだ。←情景を描写しつつ、彼女の鉄火肌のキャラを読者に伝える
情景を絵で伝える「描写」は、「説明」より面倒に思えるかもしれないが、同時に複数の情報を伝えることができる。そういう濃い描写ができていないと、評者や選者は「薄い文だなあ」感を抱くの恵ある。
(広告)作者・栗林元は小説を書いています。よろしければお読みください。(Kindle版です)不死の宴 第一部 終戦編人生はボンクラ映画・西森元1988 獣の歌/他1編・栗林元神様の立候補/ヒーローで行こう!・栗林元盂蘭盆会●●●参り(うらぼんえふせじまいり)他2編・栗林元薔薇の刺青(タトゥー)/自転車の夏・栗林元小説指南・栗林元]]>
すべてのシーンには意味がある
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2020-09-29T13:02:00+09:00
2020-09-29T13:02:06+09:00
2020-09-29T13:02:06+09:00
hajime_kuri
小説指南
自分の作品は遠慮なくネタにできて楽でいいですな。
以下引用-------------------
ようやく松も取れた頃合いなので、諏訪神社の本宮は初詣客も落ち着いていた。午前中とはいえ、もう昼近い時刻である。
みどりは、如月を案内して諏訪神社の本宮へ来ていたのだ。
参道を歩きながら、左右の店に並んだ羽子板や、だるま・招き猫などの色とりどりの縁起物を見ていると、それだけでみどりはうきうきとした気持ちになった。空気には、篝火を燃やす炭の匂いに混じって綿飴や焼き芋の匂いが漂っている。
隣では如月一心が珍しそうに周囲を見回している。参道の奥に立つ御柱の根本まで来ると、身をそらすようにして見上げた。御柱は諏訪神社に独特の様式である。総重量十トンを超す大木の柱を社の四隅に立て結界をなす。建御名方(タケミナカタ)命が二度と諏訪の地から出ないように封じる意味もあったのであろう。
「さすがに全国の諏訪神社のおおもとだけある。立派なもんだ」
「今年は、七年に一度の御柱祭りの年だから、先生はいい時期に諏訪に来たね」とみどりが言った。
「竜之介氏から聞いてるけど、諏訪は縄文の頃の信仰が色濃く残っていておもしろいよ。先日の蛙狩り神事も珍しいなあ。あれって生け贄を捧げる儀式だろう?ミシャグチ信仰に関係するのかなあ」
蛙狩り神事とは、毎年元旦に諏訪神社の上社・本宮で行われる。歳旦祭終了後に、神職と大総代が御手洗川で行う神事であった。
鋤で川底をさらいながら上流へ移動し蛙を捕まえる。それを三方に載せ贄とし、参拝殿へ戻り、壇上で篠竹の矢で射抜かれて神前に捧げられるのだ。
「あれはミシャグチの神事じゃないのよ」とみどりが言った。
「そうなの?」
「だって、上社の前宮じゃなくて本宮の方でやるでしょう。あれは負けた洩矢(モレヤ)神が建御名方命(たけみなかたのみこと)に忠誠を誓うことを儀礼化したもんだろうって竜之介兄さんは言ってたよ。どんな年でも必ず蛙が捕まるのは自ら生贄になるために出てきたってことで、洩矢と建御名方命の関係を暗示してるんだろうなあって」
みどりは、そう説明した後に、これってミシャグチの眷属と守矢氏との関係にも似ているなと気づいた。諏訪の信仰には、このような暗喩(メタファー)が幾重にも重なっていて、その歴史の重みが、折に触れ自分たち兄弟の上にのしかかっていることを感じるのだった。
不意に黙ってしまったみどりに、如月は、「甘酒飲まないかい?」と言った。
「やったー」
面を上げたみどりは、ぱっと光るように笑顔を見せ、はしゃいだ声を上げた。
「やっぱり、俺たちのような常人は、週に一回は太陽の日を浴びないとなあ」
如月の言葉に、みどりも、そうなのだと思った。そして、姫巫女が眠っている日中なら、如月先生の目線の中には私しかいない、私を見てくれると思ったのだ。
以上引用---------------------
このシーンは、実は初稿アップ後に修正段階で追加したシーンである。追加の理由は以下の通り。
・守矢みどりと如月一心の関係が曖昧だった。
みどりの如月への憧れと、それを知りつつ守矢一族の秘密を知りたい自分の気持ちを押さえている如月の気持ちを、前半でちょっぴり「読者に提示しておきたい」ということ。
そこで、私はそれを物語の中盤までの段階で描こうと考えた。結果的に第四章(作品は全九章)の中の二番目のシーンである。
・なぜ諏訪大社(当時は神社)の初詣なのか
東京から来た如月を自分にゆかりの諏訪大社の初詣に誘うのはごく自然。また、物語の女性キャラの中で、姫巫女美沙はヴァンパイアで夜のシーンが多い。それと対比するキャラであるみどりは健康美と少年っぽさが特徴なので、美沙のいない陽光の下のエピソードにしたかった。さらに、大社の本宮に残る奇怪な儀式を読者に伝え「伝奇テイスト」を味わってもらう趣向もある。
また私が、ほぼ毎年のよう初詣した諏訪大社の正月風景が好きで、文章で描写したかったせいもある。
このように、物語りの中のシーンは必ず必要があって配置されている。何らかの事情で水増しされたシーンですら、それが作品の質を上げるための結果に繋がっているものである。
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作者・栗林元は小説を書いています。よろしければお読みください。(Kindle版です)
不死の宴 第一部 終戦編
人生はボンクラ映画・西森元
1988 獣の歌/他1編・栗林元
神様の立候補/ヒーローで行こう!・栗林元
盂蘭盆会●●●参り(うらぼんえふせじまいり)他2編・栗林元薔薇の刺青(タトゥー)/自転車の夏・栗林元
小説指南・栗林元]]>
推敲の例 説明から描写など
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2020-07-07T08:48:00+09:00
2020-07-07T08:48:12+09:00
2020-07-07T08:48:12+09:00
hajime_kuri
小説指南
執筆は2008年の休職時期から1年間、その後2年のブランクの後、うつ退職後に完成させた作品である。箱書き方式でゼロから構想して書き上げた作品で未発表のままだったのをブラッシュアップして公開しているわけ。
10年前の私の未熟さがよくわかって直しがいがある。では見ていこう。
(元稿)
芝居の初顔合わせが行われたのは十二月第一週の金曜日の夜だった。現場の雰囲気を全員で共有するために、アパートメント三階の会議室が、場所として選ばれたのだ。
直美や向井など虚構座のメンバーに加えて、近年地元の演劇シーンで勢いのあった「弱酸性シアター」から花輪マルオが参加していた。
マルオは、ひょろりとした外見とメガネがトレードマークで、気の弱そうな、でもどこか抜けていて図太い、というキャラクターを演じて、地元のテレビでも人気があった。
他には、共催者として、オフィス・エッヂのディレクター小川と国松が顔合わせに参加していた。
会議室には時田の手によって古い石油ストーブが持ち込まれており、アパートの昭和なムードとぴったりだと向井が喜んだ。
まず今回のカンパニーのリーダーを務める向井〆太から挨拶があった。
創立二十年を迎えた今年は、今までの虚構座の演目から一番人気の作品を演じるつもりだった。でも、若い座員から新しいものに挑戦したいという声が上がり、なおかつ脚本まで上がってきたこと、そしてそういった前向きなチャレンジ精神こそが、虚構座の本質であったことを再確認し、二十年の総決算を新作で問うことにしたのだと言った。
「今回の作品は、わが虚構座だけでは大きすぎる作品になったので、ここにいる花輪さんを客演としてお招きした。弱酸性シアターは虚構座のライバルとして、みんなもよくご存知だと思う」
紹介された花輪が立ち上がり、軽く頭を下げると、関係者から歓迎の拍手が起きた。
「堀井女史は以前から知っていましたが、こんないい脚本を書くとは思いもしませんでした。才能に少し、嫉妬しますが、演じるのはとても楽しみです」と花輪。
以上引用ーーーーーーー
箱書きから始めた弊害で、全体がシナリオのト書きのような説明で終始している。映像喚起力が弱いのだ。この文章では作者の私だけがわかってるのだ。誰の目線のシーンかも読者はわからない。群像劇では致命的。早い段階で視点となる人物の会話なり動作なりを入れてやる。そこで次のように修正した。
(修正後)
芝居の初顔合わせが行われたのは十二月第一週の金曜日の夜だった。現場の雰囲気を全員で共有するために、アパートメント三階の会議室が、場所として選ばれたのだ。
室内には古い石油ストーブが置かれていた。反射式の旧型で赤熱した網が見えている。上に置かれた薬缶がしゅんしゅんと蒸気を出している。
「このアパートの昭和なムードとぴったりだなあ」と向井が苦笑いした。
「管理人の時田さんがね、これも演出の一つですって出してくれたの」と直美。
折りたたみ椅子が並べられた室内には、直美や向井など虚構座のメンバーが座っている。他には、共催者として、オフィス・エッヂのディレクター小川と国松が顔合わせに参加していた。
「じゃ、始めますか」と言って向井が立ち上がった。
「みなさん暮れのお忙しい中ご足労いただいてありがとうございます。今回のカンパニーのリーダーを務める向井〆太でございます」と頭を下げると「なんか〆太さんらしくないぞ」と茶々を入れる声がかかり、どっと一同が笑って空気が和んだ。
「創立二十年を迎えた今年は、今までの虚構座の演目から一番人気の作品を演じるつもりでしたが、若い座員から新しいものに挑戦したいという声が上がり、なおかつ脚本まで上がってきたこと、そしてそういった前向きなチャレンジ精神こそが、虚構座の本質であったことを再確認し、二十年の総決算を新作で問うことにしました」と言った。
「今回の作品は、わが虚構座だけでは大きすぎる作品になったので、ここにいる花輪さんを客演としてお招きした。弱酸性シアターは虚構座のライバルとして、みんなもよくご存知だと思う」
紹介された花輪が立ち上がり、軽く頭を下げると、関係者から歓迎の拍手が起きた。
「弱酸性シアター」近年地元の演劇シーンで勢いのあった劇団で花輪マルオはその創立メンバーの一人だった。
マルオは、ひょろりとした外見とメガネがトレードマークで、気の弱そうな、でもどこか抜けていて図太い、というキャラクターを演じて、地元のテレビでも人気があった。
「堀井女史は以前から知っていましたが、こんないい脚本を書くとは思いもしませんでした。才能に少し、嫉妬しますが、演じるのはとても楽しみです」と花輪。
以上引用ーーーーーーーーー
このように小説原稿の推敲は、文章の「意味が通じる」ことや「てにおは」ではなく、読者に「どのように伝えたい」か「どのような印象を与えたい」か「ストーリーや作品の狙いに反するような誤解や予断を与えていないか」などがポイントになる。
この「読者目線」を意識するためには、作品を何作かコンプリートするだけでなく、プロの作品を浴びるように読んでいくことも重要。自作との違いがうっすら見えてくる。さらに人に読んでもらうことで、その人に気づいてもらう事も出来る。お試しください。
この作品は下記「ステキ文芸」にて公開中です。
奥安アパートメントの四季
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作者・栗林元は小説を書いています。よろしければお読みください。(Kindle版です)
不死の宴 第一部 終戦編
人生はボンクラ映画・西森元
1988 獣の歌/他1編・栗林元
神様の立候補/ヒーローで行こう!・栗林元
盂蘭盆会●●●参り(うらぼんえふせじまいり)他2編・栗林元薔薇の刺青(タトゥー)/自転車の夏・栗林元
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「ジョーカー」(2019)と「タクシードライバー」(1976)
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2020-07-07T08:44:00+09:00
2020-07-07T08:44:25+09:00
2020-07-07T08:44:25+09:00
hajime_kuri
小説指南
先日、トッド・フィリップス監督作品「ジョーカー」を観た。「タクシー・ドライバー」との共通点を聞いていたので二つの作品を通して分析してみた。
マーティン・スコセッシ監督作品「タクシードライバー」(1976)はカンヌのパルムドールを獲得した傑作である。
帰国以来不眠症に悩むベトナム帰還兵トラヴィスはタクシーの夜間ドライバーとして日常を送り始める。当時は帰還兵の社会不適応が社会問題になっていて、そのような文脈で語られていたが、今観るとトラヴィスは間違いなく自閉症スペクトラム症という発達障害に見える。当然社交性も低く友人との会話もちぐはぐである。好意を持った女性からは奇異に観られて避けられる始末。ついには逆恨みで彼女が働く選挙事務所の大統領候補を暗殺しようと考える。また、76年という時代からみると保守的なほど道徳的な男で、だまされて売春宿にいる少女(若き日のジョディ・フォスター)に家へ帰れと説教をするぐらい。
大統領選挙の演説会で候補を撃とうとするがシークレットサービスに見咎められて逃げ出したトラヴィスは、それでは収まらず売春宿に行ってヒモの男ら3人を射殺する。自分も撃たれて、自殺しようとするがすでに撃ち尽くして弾は空だった。ニュースになったトラヴィスは世間からは英雄として扱われる。
ラストシーン、NYの夜をタクシーで流すトラヴィスはやっぱり孤独だった。
さて「ジョーカー」だ。老いた母と二人暮らしの主人公アーサーはストレスで突然笑い出す症状を持った精神障害者である。70年代のゴッサムシティーは貧富の格差が拡大し、社会の不満が臨界まで達していた。
ピエロの仕事をしながらコメディアンを目指すアーサーは一般人とは笑いのセンスが異なり、笑えないコメディアンなのであった。不良少年たちに欲求不満解消の暴力をふるわれる。同僚が護身用に拳銃をくれるがそれを仕事先の小児科で床に落としたことで職場も首になる。その夜、地下鉄の車両で女性に絡んでいた三人のサラリーマンの前で笑いの発作が起き、その三人から暴力を振るわれて身を守るために拳銃で射殺してしまうのだ。不思議な高揚感を感じるアーサー。殺された三人は証券会社のエリートサラリーマンで、この事件は不満を抱く貧困層の快哉を呼ぶ。街頭でデモをする人々はピエロの仮面を被るようになった。まるでガイ・フォークスの仮面のように。
一方で妄想に囚われた母は病に倒れる。唯一の慰めは同じアパートに暮らす未亡人の女性だが、彼女との甘い思いでも自分の妄想であったことにアーサーは気づく。
テレビのコメディショーで自分の映像が流れ、その笑えないコメディアンぶりにジョーカーとあだ名を付けられる。さらにはそれが話題になり番組に招待されることになる。
当日、自分をはめて退職に追いやった同僚を殺すとアーサーは番組に向かう。番組内で、自分が犯人だと告白するアーサーに司会者は道徳ぶった言葉を言う。アーサーは「笑いのオチは私が決める。みんな主観に過ぎない。おまえが私を番組に呼んだのも、私を笑い物にする為なのだろう」とその欺瞞性をズバリと指摘して、その場で彼を射殺する。阿鼻叫喚のスタジオでカメラの前でステップを踏むアーサー。私(観客)は不謹慎にもこの射殺に快哉を叫んでいる自分の心に気づいた。
この作品。決して後味のいいものではない。それは、大多数の観客(一般人)の心にある、障害者やマイノリティに対する「鈍感さ」「無知」さらには助けてやる支援してやるという上から目線の「傲慢さ」をジョーカーになってしまったアーサーの目を通してこれでもかとばかりに「体験」させるからである。
そして観客に、このアーサーの体験や気持ちは決して特殊なものではなく、学校や職場で大なり小なり自分でも体験したことをカリカチュアライズしたものだと気づかせるのだ。
「タクシー・ドライバー」で主役のトラヴィスを演じたロバート・デ・ニーロが射殺される司会者を演じてるほか、鏡の前で踊るシーンになど「タクシードライバー」をトリビュートするシーンが随所にある。
「タクシードライバー」でトラヴィスが射殺した相手は街の底辺にたむろするチンピラだったが、アーサーが殺した相手は、反撃できない弱い相手とみるや居丈高に暴力を振るうホワイトカラーの会社員、社会の良識を装いながら売れないコメディアンを貶めて笑い物にしようとする芸能人、職場の異分子を辞めさせる同僚、暴力で子供を障害者にした母である。
トラヴィスの殺した相手が解りやすい「悪」であったため彼は簡単に英雄になった。アーサーは見えにくい「悪」に抵抗したために社会の「悪役(ヴィラン)」になったのである。
映画「タクシードライバー」は中二的な解釈をするファンが大多数だった。当時高校生の私もその一人。そんな後追い映画が雨後の竹の子のごとく湧いてきた。自閉症スペクトラム症という傷害が「ベトナム帰還兵問題」によって隠されてしまったこともあるだろう。
「ジョーカー」にはそんな中二的な解釈を許さない苛烈さがある。先日の神戸の教師同士のいじめ事件を思い、社会が1976年より格段に病んでいるのだと感じる。
「ジョーカー」とは、大統領候補を射殺してしまったトラヴィスの、もう一つの「タクシー・ドライバー」なのである。
追記
舞台となったゴッサムシティが貧富の差が大きな世界になっているのは、この物語には「誰もが心に押し隠している暴力性が簡単に顕在化する社会」が必要なための舞台設定だ。
だが、この作品を「貧困社会の告発」と称して反トランプ、反安倍晋三に結びつける「頭の悪い評論」が必ず出てくると思うなあ。まあ誰が言い出すかも想像着くけど(苦笑)
追記2
スコセッシとデニーロのコンビの「キング・オブ・コメディ」との関係も書いておく。
「キング~」ではデニーロ演ずるルパートは誇大妄想気味のエキセントリックな人物だ。憧れのコメディアンになるために往年のスターであるジェリー(ジェリー・ルイスが演じている)の番組に出るために彼を誘拐し人質にする。逮捕収監されるのだが、番組でのコントが受けて服役後スターとなって帰ってくる。ある意味、80年代の「タクシー~」とも言える作品。この両作品で主役を演じたデニーロを迎えて、ラストでアーサーに彼を射殺させていることに、監督の無言のメッセージを感じたのは、俺だけだろうか。
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作者・栗林元は小説を書いています。よろしければお読みください。(Kindle版です)
不死の宴 第一部 終戦編
人生はボンクラ映画・西森元
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公募における加点ポイントとは
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2020-07-07T08:42:00+09:00
2020-07-07T08:42:33+09:00
2020-07-07T08:42:33+09:00
hajime_kuri
小説指南
彼らがぶつかる壁が予選通過である。投稿サイトでは膨大なPVをあげてたくさんの「いいね」をもらっているのにどうして二次予選を突破できなかったのか等。
投稿サイトでは、「荒削りでも一点気に入る」ところがあればかなりの人気を得ることができる。だからこそ、指導や教育前提の新人(原石)発掘に適している。
一方、公募の方は、「最後まで読ませる力」「破綻していない構成」「正確に伝える文章力」等は「基礎構成技」として当然で、後は他作品にない「独自の何か」の有無が「加点ポイント」になる。
つまり公募での戦いは「減点ポイントを減らして完全にする」ではなく「その上でどれだけ加点ポイントを積み上げるか」になってくるのだ。
この加点ポイントは作家自身が見つけるしかない。実は、私自身が一番悩んだ、いや今でも悩んでいるのがこれなのだ。
私が二十三歳で初めて書いた小説は大藪晴彦作品を模倣したヴァイオレンス小説で、周囲からは「大藪っぽくて面白い」と言われたが「読ませきるおもしろさ」はあっても「~みたい」どまりで、抜きんでた何かには欠けていたのだ。
三十歳になるまでに、小説4本とシナリオ2本をコンテストに送っていたが、いつも一次予選通過作品の中の一つで、「太字の作品は二次予選を通過しました」の中には入れなかった。
初めて最終候補になったホラー作品(一九八九年)も「大好きなラブクラフトの設定を日本に持ってきただけ」と酷評された(クトゥルーものってそういうもんだろう的なつっこみはさておいて)
初めて佳作入選した作品でようやくその加点ポイントにうっすらと気づかされた。
その賞はテレビドラマ用のビジネスストーリーの公募で、大賞受賞作品は「オークションに出品するフェラーリの幻の名車」の偽物を作る職人たちが、当初の打算や金銭欲を超えて本物同様の名車を作り上げていく過程でクラフトマンシップに目覚めていく物語であった。今まで聞いたことのないストーリーに感心させられた。
佳作に入選した作品群は、「製薬会社の宣伝部を舞台に偽薬をプロモーションで売りまくる話」や「投資会社でディーラーをするサラリーマン」や「ソ連と日本の留学生達の青春」など、どれも似たような話はなかった。
私の作品は「衆院選を巡る選挙広告の取材合戦の内幕」を「神様のお告げで立候補した老婆」を軸にして描いたユーモア作品で、バブル期のきらびやかで派手な広告業界を描いた応募作が複数あったであろう中では「地方の新聞広告営業」という地味な世界をユーモラスに描いた異色作だったのである。
公募における加点ポイントは、「作品の舞台、設定。モチーフ」などの珍しさだけでなく、「作者の感性」「登場人物の魅力」など、多岐にわたる。作者個人の「嗜好」や「職歴」すらそれにつながる。私の場合は「うつ」体験から得たポジティブ思考や「笑い」のセンスだろうか。
自分の作品、作者としての自分の「加点ポイント」を一度考えてみるとよいだろう。自分では気づいていない「何か」を発見できるかもしれない。
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作者・栗林元は小説を書いています。よろしければお読みください。(Kindle版です)
不死の宴 第一部 終戦編
人生はボンクラ映画・西森元
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「名前のないキャラ」の扱い
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2020-07-07T08:38:00+09:00
2020-07-07T08:38:40+09:00
2020-07-07T08:38:40+09:00
hajime_kuri
小説指南
そのシーンでかなり重要な役回りではあるけど、以後のシーンでは出てこないので名前もない、という役である。
映画のシナリオの場合は、青年1、2、3ですむのだが、小説の場合そうはいかない。
そこで、次のような手段をとる。例文は、またしても拙作「不死の宴 第一部」である。
例)
北島は部屋に入って俊子を見た。ゆっくりと部屋を見回し、左手に包帯を巻いた上島が床の縄円座にあぐらをかいているのを見た。傍らに清酒「ダイヤ菊」の一升瓶が転がっている。北島を見つめたまま右手の杯を口に運びかけて動きを停めていた。
「やっぱり、あんただったか」と北島が言った。
「こりゃあ奇遇だね。たまたま知り合いの博徒と飲んでたら、この小娘が連れてこられてねえ」と上島。
「海軍さんには諏訪湖ホテル接収に際してお世話になっとるのよ」と「腹巻き」が言った。拳銃を構えていた「地下足袋」も薄ら笑いを浮かべながら、「上島さま、どうしますかね、こいつ」と言って北島に向かって顎をしゃくった。
「まずは、俺と同じ左手かな」と言って右手の杯を唇に近づけると、ちゅるという音を立ててなめるように飲んだ。
そして、左手を掲げると、「この左手、細かく折れちゃってねえ。まだ麻痺が残っとるのよ。俺のような優秀な皇軍兵士がなかなか戦地には戻れない。残念だと思わんか。ああ?」と続けた。
「腹巻き」は「へい、ドスの出番ですね」と言うと、腹巻きに挟んでいた白鞘の短刀を出した。鞘から抜くと、北島の前に回って顔の前に刃先かざし、電灯の光を反射させてにたにたと笑った。北島がおびえるのを期待しているようだ。
「おい、鉄、あんまり血で汚すなよ、掃除が大変だから」と「地下足袋」が言った。
お気づきだろうか、地の文の視点となる人物の目線で「腹巻」「地下足袋」と「あだ名」をつけて、以後その名で描写する。そうすることで、読者(と多分に作者も)の煩わしさを回避している。
全ての人物に名前を与えてしまうと、今後の物語に重要な人物?というミスリードも与えてしまう。
読みやすくてストーリーを追いやすく、その物語のダイナミズムを堪能させる作品の場合、読者の「?」は読者が本を置いてしまうきっかけにもなりかねない。
また「あだ名」を与えることで、そのキャラのイメージを直球で伝えることもできる。そのもっとも良い例が、漱石「坊ちゃん」の「赤シャツ」と「野だいこ」だろうか。
執筆上の小技である。
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作者・栗林元は小説を書いています。よろしければお読みください。(Kindle版です)
不死の宴 第一部 終戦編
人生はボンクラ映画・西森元
1988 獣の歌/他1編・栗林元
神様の立候補/ヒーローで行こう!・栗林元
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「ジョーカー」(2019)と「タクシードライバー」(1976)
http://hage.exblog.jp/239677534/
2019-10-22T11:42:00+09:00
2019-10-22T11:42:35+09:00
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hajime_kuri
映画
この記事はネタバレを含んでいるので映画を見てからお読みいただきたい。今回は長い。先日、トッド・フィリップス監督作品「ジョーカー」を観た。「タクシー・ドライバー」との共通点を聞いていたので二つの作品を通して分析してみた。 マーティン・スコセッシ監督作品「タクシードライバー」(1976)はカンヌのパルムドールを獲得した傑作である。 帰国以来不眠症に悩むベトナム帰還兵トラヴィスはタクシーの夜間ドライバーとして日常を送り始める。当時は帰還兵の社会不適応が社会問題になっていて、そのような文脈で語られていたが、今観るとトラヴィスは間違いなく自閉症スペクトラム症という発達障害に見える。当然社交性も低く友人との会話もちぐはぐである。好意を持った女性からは奇異に観られて避けられる始末。ついには逆恨みで彼女が働く選挙事務所の大統領候補を暗殺しようと考える。また、76年という時代からみると保守的なほど道徳的な男で、だまされて売春宿にいる少女(若き日のジョディ・フォスター)に家へ帰れと説教をするぐらい。 大統領選挙の演説会で候補を撃とうとするがシークレットサービスに見咎められて逃げ出したトラヴィスは、それでは収まらず売春宿に行ってヒモの男ら3人を射殺する。自分も撃たれて、自殺しようとするがすでに撃ち尽くして弾は空だった。ニュースになったトラヴィスは世間からは英雄として扱われる。 ラストシーン、NYの夜をタクシーで流すトラヴィスはやっぱり孤独だった。 さて「ジョーカー」だ。老いた母と二人暮らしの主人公アーサーはストレスで突然笑い出す症状を持った精神障害者である。70年代のゴッサムシティーは貧富の格差が拡大し、社会の不満が臨界まで達していた。 ピエロの仕事をしながらコメディアンを目指すアーサーは一般人とは笑いのセンスが異なり、笑えないコメディアンなのであった。不良少年たちに欲求不満解消の暴力をふるわれる。同僚が護身用に拳銃をくれるがそれを仕事先の小児科で床に落としたことで職場も首になる。その夜、地下鉄の車両で女性に絡んでいた三人のサラリーマンの前で笑いの発作が起き、その三人から暴力を振るわれて身を守るために拳銃で射殺してしまうのだ。不思議な高揚感を感じるアーサー。殺された三人は証券会社のエリートサラリーマンで、この事件は不満を抱く貧困層の快哉を呼ぶ。街頭でデモをする人々はピエロの仮面を被るようになった。まるでガイ・フォークスの仮面のように。一方で妄想に囚われた母は病に倒れる。唯一の慰めは同じアパートに暮らす未亡人の女性だが、彼女との甘い思いでも自分の妄想であったことにアーサーは気づく。テレビのコメディショーで自分の映像が流れ、その笑えないコメディアンぶりにジョーカーとあだ名を付けられる。さらにはそれが話題になり番組に招待されることになる。当日、自分をはめて退職に追いやった同僚を殺すとアーサーは番組に向かう。番組内で、自分が犯人だと告白するアーサーに司会者は道徳ぶった言葉を言う。アーサーは「笑いのオチは私が決める。みんな主観に過ぎない。おまえが私を番組に呼んだのも、私を笑い物にする為なのだろう」とその欺瞞性をズバリと指摘して、その場で彼を射殺する。阿鼻叫喚のスタジオでカメラの前でステップを踏むアーサー。私(観客)は不謹慎にもこの射殺に快哉を叫んでいる自分の心に気づいた。この作品。決して後味のいいものではない。それは、大多数の観客(一般人)の心にある、障害者やマイノリティに対する「鈍感さ」「無知」さらには助けてやる支援してやるという上から目線の「傲慢さ」をジョーカーになってしまったアーサーの目を通してこれでもかとばかりに「体験」させるからである。そして観客に、このアーサーの体験や気持ちは決して特殊なものではなく、学校や職場で大なり小なり自分でも体験したことをカリカチュアライズしたものだと気づかせるのだ。「タクシー・ドライバー」で主役のトラヴィスを演じたロバート・デ・ニーロが射殺される司会者を演じてるほか、鏡の前で踊るシーンになど「タクシードライバー」をトリビュートするシーンが随所にある。「タクシードライバー」でトラヴィスが射殺した相手は街の底辺にたむろするチンピラだったが、アーサーが殺した相手は、反撃できない弱い相手とみるや居丈高に暴力を振るうホワイトカラーの会社員、社会の良識を装いながら売れないコメディアンを貶めて笑い物にしようとする芸能人、職場の異分子を辞めさせる同僚、暴力で子供を障害者にした母である。トラヴィスの殺した相手が解りやすい「悪」であったため彼は簡単に英雄になった。アーサーは見えにくい「悪」に抵抗したために社会の「悪役(ヴィラン)」になったのである。映画「タクシードライバー」は中二的な解釈をするファンが大多数だった。当時高校生の私もその一人。そんな後追い映画が雨後の竹の子のごとく湧いてきた。自閉症スペクトラム症という傷害が「ベトナム帰還兵問題」によって隠されてしまったこともあるだろう。「ジョーカー」にはそんな中二的な解釈を許さない苛烈さがある。先日の神戸の教師同士のいじめ事件を思い、社会が1976年より格段に病んでいるのだと感じる。「ジョーカー」とは、大統領候補を射殺してしまったトラヴィスの、もう一つの「タクシー・ドライバー」なのである。追伸舞台となったゴッサムシティが貧富の差が大きな世界になっているのは、この物語には「誰もが心に押し隠している暴力性が簡単に顕在化する社会」が必要なための舞台設定だ。だが、この作品を「貧困社会の告発」と称して反トランプ、反安倍晋三に結びつける「頭の悪い評論」が必ず出てくると思うなあ。まあ誰が言い出すかも想像着くけど(苦笑)
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作者・栗林元は小説を書いています。よろしければお読みください。(Kindle版です)
不死の宴 第一部 終戦編
人生はボンクラ映画・西森元
1988 獣の歌/他1編・栗林元
神様の立候補/ヒーローで行こう!・栗林元
盂蘭盆会●●●参り(うらぼんえふせじまいり)他2編・栗林元薔薇の刺青(タトゥー)/自転車の夏・栗林元
小説指南・栗林元]]>
「外見」ではなく「印象」で描け~読者の想像力に委ねる~
http://hage.exblog.jp/239229134/
2019-04-22T06:51:00+09:00
2019-04-22T06:51:58+09:00
2019-04-22T06:51:58+09:00
hajime_kuri
小説指南
※サイタ「小説指南」BLOGの記事を保存したものです。
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不死の宴 第一部 終戦編
人生はボンクラ映画・西森元
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6年前の没企画「ラジオドラマ」編
http://hage.exblog.jp/238540569/
2018-05-24T14:44:00+09:00
2018-05-24T14:44:21+09:00
2018-05-24T14:44:21+09:00
hajime_kuri
俺の作品
特番をいくつもセールスする余裕ないとのことで没。
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■ キネマ通り商店街
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◆ 第一話
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僕はタカシ。商店街に住む小学生だ。こいつは友達のマルオ。ちょっとのんびりしてるけど人の気持ちのわかるいいやつ。こちらがヒデオ。SFばかり読んでる頭でっかちだけど、何かしら面白いことを考え出す天才。
この三人でいつもこのキネマ通り商店街を遊び回っているんだ。
なぜキネマ通りなのかって?
それはこの通りにたくさんの映画館があったからなんだ。
商店街のお年寄りに言わせると、
「昔は、東京浅草の六区と並び称されたものだ」
なんだってさ。
第一話では、この物語に出てくる登場人物たちエピソードを交えて紹介するよ。
それと商店街の色々な情景を案内するつもり。
なんたってヒデオは、商店街の廃墟マップを作っているからさ。
ヒデオの地図で、もうすぐ廃墟の仲間入りをしようとしているのが、商店街の一角にある日の出アパートメント。もう八十年も建っている。来年の春には取り壊される予定なんだけど、最近は色々な怪現象が起きているんだ。死んだはずの人が歩いていたり、誰もいない部屋からラジオの音が聞こえたり。一階で喫茶店をやっている時田さんは、「この建物も臨終間近じゃから、おおかた昔の夢でも見とるのだろう」と笑ってる。時田さんの喫茶店はお父さんの代からの店で、昭和の頃からまったく変わっていない。お客は滅多に入っていなくて、ランチタイムかどうかに関わりなく、いつでも焼きそばやラーメンを出してくれる、そんな店。ずいぶん昔に奥さんが亡くなってからはマイペースで、つまりあまり商売っ気もなくってことだけど店を開いているんだ。
時田さんは面白いじいさんなんで、僕たちは時々、おしゃべりに行くんだ。機嫌がいいとジュースやお菓子を振る舞ってくれる。
そんな商店街のクリスマスイブ。地元のラジオが開局五十年を迎えた日に、この事件は起きたんだ。きっかけはアパートの地下室をの掃除を時田さんにまかされたこと。僕たちはお小遣いに誘われて、その掃除を手伝うことにした。だって何十年もしまっていた地下室の倉庫なんて、魅力的だろう。
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◆ 第二話
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倉庫の掃除で、僕たちは変なモノを沢山発見する。足踏み式のミシンとか、氷式の木製冷蔵庫とか、家具調のテレビとか、時田さんが子供の頃に、少しずつ姿を消したものがいくつもあったんだ。きっと昔のアパートの住人が、残していったものがいつまでもこの地下室で眠っていたのかもしれない。地下室の中だけ時がとまっていたみたいなんだ。
そこで僕たちは一台のトランジスタラジオを見つけだした。象牙色のプラスチックのボディで、ロケットみたいな流線型。ヒデオに言わせると、昔に、こんな流線型が流行した時代があったんだってさ。レトロじゃん。
マルオがゲーム機の電池を抜いて、ラジオにセットした。スイッチを入れて、電波を拾いかけたとき、ぐらりと地震が起きたんだ。ラジオの音が一瞬ゆがむと、突然放送の声が「開局」の放送に変わる。
「過去の電波を拾ったんだ」
なんだか外が騒がしい。僕たちは外へ出たみた。びっくりするような人出だ。
「お祭りみたいだ」
商店街は喧噪にあふれている。チンドン屋が通り過ぎる。商店街には演歌が流れている。閉まっていたシャッターの店が開いている。駐車場が消えて木造の店が現れている。
「過去にきたみたい」
「でもアーケードはちゃんとある、コンビニも」
商店街は、過去と現在が入り交じるなんとも不思議な空間になっていたのだ。
僕たちは商店街を歩き回る、時田さんが過去を解説してくれる。
駄菓子屋まで来たときに、時田さんが驚いた。
「おばちゃんが生き返っている」
そして、はっと気づいた時田さんは、「店に戻る」と叫んで駆け出した。
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◆ 第三話
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店に帰った時田さんは、死んだはずの奥さんに迎えられた。
同様の出来事が、商店街のそこここで繰り広げられている。
お年寄りの中には、この出会いを喜ぶ者も多かった。
「夢だ、夢のようだ、醒めないでほしい」と。
そして僕たちは、過去と混在するエリアが、徐々に拡大していることに気づいた。
ヒデオは時田の言葉を借りると「商店街全体が、アルツハイマー症のようにまだらな昔の記憶を辿っているんだ、そして僕たちはその中に閉じこめられている」と言った。
やがて商店街の外側に路面電車の鐘の音が聞こえ始める。ことは商店街だけでは収まらなくなったのだ。
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◆ 第四話
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僕たちは、もう一度事態を思い起こす。地震が原因だろう。その時にラジオが過去の電波をとらえた。このラジオで現代の電波をとらえれば、商店街の時間のゆがみを戻せるかもしれない。僕たちが引き起こしてしまったことなら、僕たちで何とかしなきゃ。
ラジオを持ち出そうとする僕たちに時田さんは言う。「このままにしないか」と。せっかく巡り会えた奥さんと、もう分かれたくないのだ。
でも、それは間違っている。死んだ人は死んだ人なんだ。時田さんも寂しそうにうなずいた。
僕らはラジオをあわせ始めた。でも聞こえてくるのは過去の電波ばかり。
「このエリアはすでに過去に取り込まれているんだ」
ラジオを持って僕たちは外へ出た。どこかで必ず現代の電波を拾うんだ。
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◆ 第五話
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混沌の街の中をラジオを持ってさまよう僕たち。ある老人の「五十年前、そのものなのにアーケードがあるのは奇妙だという言葉に耳をとめた。
「アーケードができたのは四十年前で、五十年前にはアーケードはなかったんじゃ」
頭上のアーケードを見上げる僕ら。
「あのアーケードの上なら、過去に浸食されていないんじゃないか」
ヒデオが叫んだ。
僕たちは、日の出アパートメントに戻った。そして階段を上がりアーケードの上に出る。アーケードの上のキャットウォークに出ると、アーケードはいつもと同じ赤錆た姿で足下に横たわっている。
「ここは、過去に犯されていないよ、エリアから出られた」
ラジオを点けて、夜空の下を歩いていく。
十二月の空気は寒いけど、星はきれいだ。
「五十年前も同じ空だったのだろうか」
そのとき、ラジオが電波を拾った。
「開局五十周年、おめでとう、」
「現代の電波だ」
主題歌が流れ出す。
「見て」
アーケードの下では、幻影の過去が、霧が薄れるように消えていく。あれだけいた人並みが消え、年老いた商店の主たちが、呆然と立ち尽くしている。
時田の前から奥さんの姿が消える。
「別れは二度めの方がつらい」と時田。
「見て、商店街が夢から覚める」
「僕たちも年を取ったら過去の夢を見るのだろうか」
「でも、僕たちはまだ見ない」
「僕たちが見る夢は、明日の夢だよ」
主題歌、ひときわ大きく流れて、おしまい。
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作者・栗林元は小説を書いています。よろしければお読みください。(Kindle版です)
不死の宴 第一部 終戦編
人生はボンクラ映画・西森元
1988 獣の歌/他1編・栗林元
神様の立候補/ヒーローで行こう!・栗林元
盂蘭盆会●●●参り(うらぼんえふせじまいり)他2編・栗林元
薔薇の刺青(タトゥー)/自転車の夏・栗林元
小説指南・栗林元]]>
没になった映像企画、ご笑覧ください
http://hage.exblog.jp/238484351/
2018-04-26T18:15:00+09:00
2018-04-26T18:17:29+09:00
2018-04-26T18:15:09+09:00
hajime_kuri
俺の作品
実は昨年、ある映像作品のコンペにご招待いただいてプロット提案をしたが、没になっていた(苦笑)
先方は、アクションコメディを所望していたのだが、私はコン(詐欺)ゲームで提案したのである。
だって、そっちの方がずっと面白いじゃんと思ったせい。
そろそろほとぼりも冷めたろうから、このBLOGで公開しちゃおうってところ。
添付したJPG画像がそれ。
ご笑覧ください。
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作者・栗林元は小説を書いています。よろしければお読みください。(Kindle版です)
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西瓜の甘さを際立たせる塩
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2018-04-25T11:37:00+09:00
2018-04-26T07:00:43+09:00
2018-04-25T11:37:25+09:00
hajime_kuri
小説指南
私は、こういった手法を荒俣宏先生の「帝都物語」で学んだのだと思う。
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厚みのある文章
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2018-01-16T17:42:00+09:00
2018-01-16T17:42:39+09:00
2018-01-16T17:42:39+09:00
hajime_kuri
小説指南
小説指南 | Cyta.jp
(広告)作者・栗林元は小説を書いています。よろしければお読みください。(Kindle版です)不死の宴 第一部 終戦編人生はボンクラ映画・西森元1988 獣の歌/他1編・栗林元神様の立候補/ヒーローで行こう!・栗林元盂蘭盆会●●●参り(うらぼんえふせじまいり)他2編・栗林元
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「白村江」(荒山 徹)~ダイナミックな古代の外交戦~
http://hage.exblog.jp/238115791/
2017-12-25T22:29:00+09:00
2017-12-25T22:29:32+09:00
2017-12-25T22:29:32+09:00
hajime_kuri
時代
兄の百済王によって処刑されかけた悲劇の王子、余豊璋。 才知溢れ、王位継承者でありながら不遇をかこつ新羅王族、金春秋。 冒険心に富み、天皇位簒奪への野心を燃やす倭国豪族、蘇我入鹿。 聖徳太子の大いなる遺志を継ぐために、策略を巡らす葛城皇子。 激動の東アジアの情勢は、4人の男たちの思惑と絡み合って、「白村江の戦い」へとつながっていく…
というのがアマゾンの紹介だ。
彼らの群像劇のスタイルを取りつつ、倭国(日本)の「白村江」の敗戦が何だったのかという仮説が語られる。
一読して気づかされるのが、当時の半島状況と現代の半島情勢の酷似具合。
高句麗=北朝鮮
唐=中華人民共和国
新羅=韓国右派
百済=韓国従北派
って関係性とよく似てるのだ。
彼らが、国防と政権安定のためにどの国と同盟をするかといった外交戦を、白村江の開戦20年前から追った物語である。
この外交戦争、政権抗争の手に汗握るダイナミックな物語だ。
どのキャラも素晴らしく際立っている。
実は夜勤明けで本来ならすぐ眠ってしまう私が、眠ることも能わずに最後まで読み通してしまった。
こんな時代歴史小説は今までなかった。「柳生もの」の軽妙な荒山徹も好きだが、こういった骨太な荒山徹もいいなあと、改めて惚れ直したしだい。
白村江
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作者・栗林元は小説を書いています。よろしければお読みください。(Kindle版です)
不死の宴 第一部 終戦編
人生はボンクラ映画・西森元
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基本を離れる~人称のルールを逆利用する~
http://hage.exblog.jp/238038340/
2017-12-01T20:23:00+09:00
2017-12-01T20:24:56+09:00
2017-12-01T20:23:59+09:00
hajime_kuri
小説指南
では次の例文を読んでみよう。拙著「不死の宴・第一部・終戦編」の第九章の一部である。終戦の夜、秘密研究の関係書類を処分するシーンだ。
以下引用---
竜之介は自分の研究室へ入ると、一人で、処分する書類を集めはじめた。私物の類はすべて昨夜のうちに処分していた。古文書は諏訪神社と諏訪神党に隠匿を依頼してある。すでに本棚にはいくつも隙間が開いていた。さらにそこから焼却する資料を抜いていく。
北島や西城たち、実験兵の身元関係資料の公式記録である。彼らの存在は、記録からも消えてしまうのである。
資料に目を落とし、竜之介は四人の顔を思い浮かべた。
初めて彼らを迎えにいった時、彼らが分室に集まった二年前の晩秋の頃を思い出した。北島のジョークや、東郷のきまじめな表情や、南部の剽軽な笑顔や、西城の恥ずかしそうな照れ笑いを思い出した。彼らを慕うみどりの笑い声を思った。
記録から消えても、彼らがいたことだけは事実だ。忘れまい。忘れるものか。
以上引用---
淡々とした三人称の語りの中に、突如、挿入された一人称的表現。最後の行の、”忘れまい。忘れるものか。”は、本来なら、”忘れまい、忘れるものか、と竜之介は思った。”と語られるべきなのだが、それを略して一人称のモノローグのようにしたことで、ぐっと読者の心に刺さるのである。
ただし、これは頻繁にやってはいけない。「ここぞ」という場面に使う表現である。それでこそ効くのだ。
また、これは作者が登場人物の竜之介の心情にすっかり憑依されている証拠でもある。これを書いている時、私は北島や東郷や西城やみどりたちの、この物語以後の運命を思い、すでに続編を書く気持ちを持っていた。
”忘れまい。忘れるものか。”という竜之介の言葉は、「必ず続編を書き、おまえ等の運命を見届けてやるからな」という作者(私)の密かな決意表明でもあるのだ。
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作者・栗林元は小説を書いています。よろしければお読みください。(Kindle版です)
不死の宴 第一部 終戦編
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その職場、派遣社員に笑われているかもしれないよ
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2017-11-15T09:45:00+09:00
2017-11-15T09:45:54+09:00
2017-11-15T09:45:54+09:00
hajime_kuri
時事
派遣社員は各種の職場で働いている。職場ごとにローカルルールは違う。それを乗り越えるためにマニュアルが必要なのだ。一つの職場しか知らない正社員が「当たり前」と思っていることが、他の職場でも当たり前であるとは限らない。
大手の企業では、「融通を利かして自己判断すること」が、大失敗に結びつくことも珍しくない。
だからマニュアルを順守させる。マニュアルは派遣社員の立場を守るものでもあるのだ。
私は三社で派遣を体験したが、タクシー会社のコールセンターで、その前にいた大手メーカーと比較して顧客の個人データに関する扱いが鷹揚すぎてあきれた覚えがある。
...
俺(派遣)「お客は自分の着信番号が表示されていること、その番号と過去履歴から自分の名前が把握されていることを知っているのですか?」
正社員「はあ、なんで?」
その職場の派遣は、大手の通信会社や自動車メーカーのコールセンターを体験しているので、そういった過去の職場と現在の職場を比較して考える。
さらに大企業は、個人の技量ではなく仕事の「カイゼン」で職場の効率を上げていく。一方、中小企業や個人企業は、個人の技量に頼り切る。
私の派遣先では、キーボードの文字がかすれて消えていたが何度言っても取り換えてもらえなかった。「ブラインドタッチできるなら問題ない」と。そのくせそのキーボードが日本語キーボードなのである(苦笑)
その前の派遣先では、アルファベットだけの標準キーボードだが、文字はかすれていなかった。ブラインドタッチではなく「ローマ字変換」に統一されていたのである。
気づいてほしい。派遣を小ばかにしている正社員さん、実は派遣社員から笑われているのはあなたの方ですよ。
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