「読書記録」を中心に、読んだ本、見た映画の記録、書評、ブックガイド、その他日常の徒然ね。


by hajime_kuri

カテゴリ:小説指南( 78 )

Amazonストア内に、作家・栗林元の著者ページを作ってあります。
主な著作もこちらでダウンロードが可能です。
また、作者へのご質問などにもご利用いただけます。

栗林 元 著者ページ
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by hajime_kuri | 2015-03-23 21:43 | 小説指南 | Comments(0)

「イカロスの翼(仮)」の構想を練る四回目である。前回は主人公タカシのキャラクター像を練り込んだ。本当は、物語に登場するかどうかはさておき、家族構成や両親の仲がよかったか悪かったかなど彼の周辺まで考えるのだが、今回は、ストーリーに直結する他のキャラクターを練り込むことにする。

まず、タカシと同じドローン部隊に属するパイロット・ケンジだ。彼は元々空軍のパイロットで、任務中の戦傷で車いすを余儀なくされ、除隊したが技量を買われてドローンのパイロットになった。生粋の軍人キャラである。ただ、彼は生身をさらして戦闘に参加していただけに、安全なところで操縦される無人機で敵を殺傷することに強い嫌悪感と罪悪感を感じる。そんな彼が軍務を続けるには、それなりの動機が必要だ。そこで、彼が入隊したのは妻を敵国のテロで殺されたから、そして再び軍に戻って無人機のパイロットをするのは、残された一人娘を養育するためやむを得ず、という理由を付けた。
もう一人の同僚は、アキラ。彼もまた技量を買われてスカウトされるが、それはゲームからである。ケンジのように罪悪感も嫌悪感も感じることはない。ゲームの刺激におぼれるジャンキーである。体は正常でも、心と感覚を任務でぼろぼろにされた、彼もまた戦争の犠牲者なのだ。

そして、タカシを見守るマリアというキャラクターがいる。
彼女は障害者を支援するボランティアとしてタカシに接する。しかし、長い年月をかけてもできなかった、タカシが自信を持って社会へ出てアイデンティティーを確立する、という事を、自分たちの支援ではなく軍隊の任務が可能にしたということに打ちのめされてしまう。
しかし、軍隊の広告塔として英雄になったタカシが、一転、心を病んで絶望したときに、唯一彼を救うのがこのマリアという女性なのだ。


年上のケンジは、同僚のアキラ、そして主人公のタカシらが、任務を通して変わっていく様を冷徹に観察している。彼の視線が読者の視線だ。
ケンジは、憎しみの連鎖で終わり無き戦いを続ける自分たち人類に半ば絶望を感じ始めている。しかし、ぼろぼろになったタカシを最後に救ったマリアの無私の愛情を目撃し心に思う。
「人間の心にマリアのような気持ちがある限り、人類は必ず自分たちの愚かさを克服するに違いない。そう信じて、俺は絶望はしない。ぜったい絶望なんかしてやるものか」と。

この物語を構想しながら、作者は過去の戦争をテーマにした多くの作品を想起するのだが、それら作品の多くが、憎しみの連鎖から戦争をやめられない人類の愚かさを嘆いたり憤慨したり呪ったりするものである。そこで、作者はそれをさらに一歩進めて、そんな人類に絶望しない、あきらめない、というところまで歩を進めることにした(この、絶望を拒否する勇気は、「シン・レッド・ライン」という太平洋戦争を題材にしたアメリカ映画で唯一見たことがある、これは傑作映画ですのでぜひ見てくださいね)。
私は、このマリアというキャラクターに、その人間の心に潜む本当に「善」なものを仮託したわけである。

次回は、これらの設定をふまえて、思いついたエピソードを列挙(カード化)し、それをつないでストーリーラインを作る作業に入ろう。お楽しみに。

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薔薇の刺青(タトゥー)/自転車の夏
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by hajime_kuri | 2015-03-03 15:43 | 小説指南 | Comments(0)

 二回で終わるつもりだったけど、意外に好評なのでシリーズ化する事にした。ちなみに、この手法は、マンガ編集家の竹熊健太郎さんが相原コージさんと組んだ作品「サルでも描けるマンガ教室」(略してサルマン)で「とんち番長」という架空の連載マンガを設定して語った方法と同じだなと気づいた。
 さて、まずは、このドローン部隊の話、仮にタイトルを付けようと思う。もともとタイトルには、「~の翼」とか「翼の~」にするつもりだった。「翼」には、大空を羽ばたく「自由」「希望」「夢」「未来」のようなイメージがあり、「戦争」という「不自由」「絶望」「絶たれた夢や未来」などをイメージさせるネガティブな単語と組み合わせていろいろな寓意を込められそうに感じていたからだ。
 そこで、この作品には仮に「イカロスの翼」とタイトルを付けることにする。イカロスとはギリシャ神話の人物で、父親の大工ダイダロスとともに鳥の羽を蝋で固めた翼を作り空を飛ぶ。父親の警告を無視して有頂天になり高く飛びすぎたイカロスは太陽の熱で蝋が溶け海に落ちて死ぬ。主人公の物語を暗示させるわけだ。
 では、登場人物をもっと掘り下げていこう。まずは、登場人物の一覧だ。構想のこのあたりで、作家は人物一覧表や設定集などを作り始める。


ドローン部隊の操縦者
タカシ・子供の頃の事故で下半身が麻痺して車いす生活。
ケンジ・退役軍人の元パイロット。撃墜されて障害者になった。
アキラ・ゲームプレイヤー上がりの操縦者。ゲームジャンキー。

障害者支援ボランティア
マリア・タカシを支援してきた女性で、密かにタカシに思いを寄せているが、美人ではない(←ここ重要)。


 今回は、タカシの人物を掘り下げて考えてみる。ここを微細に決め込むとそれだけで物語の中に必要なエピソードなどが決まってくる。

 タカシは幼い頃に事故で下半身が麻痺することになるのだが、これを生まれつきではなく事故にするのには理由がある。私は親の不注意で事故に遭ったことにしようと考えた。親は罪悪感からタカシに対する厳しい教育ができずタカシの性格にそれが反映されるのだ。
 タカシは、学校生活や恋愛など、思いどおりにならないことを、自分の障害のせいだと思って、親や世間を恨む。
 この、「思いどおりにならないことを、・・・のせいだと思って、親や世間を恨む」というのは、誰の心にもある感情で、それだけに読者の共感を得やすいし感情移入もしやすい。物語では、わかりやすくそれを障害にしてあるだけだ。
 このタカシの性格を物語るエピソードは作品内で不可欠だろう。日常の描写の中で、断片的な回想という形で出すか、章を立てて物語るかは後々考えるとして、幼年時代、少年時代、思春期などにタカシがどんな体験をしてどんな気持ちを抱いたかを考えてまとめることにしよう。
 すでに彼を支援するマリアという女性との出会いはあるが、彼女に対して恋愛感情はない。マリアは心優しい少女なのだが、若い男性から恋愛対象として見られるような魅力には乏しい。ここが重要で、この物語の落とし前の一つとして、ラストでタカシがマリアの本当の優しさに気づくということも作家は念頭に置いているわけなのだ。
 タカシは、フライトシミュレーターゲームの才能でドローンパイロットになるのだが、そこでの出会いや甘えを許さぬ訓練などで次第に人間として成長していく。戦争のための訓練でも人間性が磨かれることはある。これも大きな皮肉である。
 タカシは非凡な才能を発揮する。本来下半身の運動の為の脳の運動野をすべてドローンの操作に振り向けられるからだ。軍の幹部は、優秀な戦果を挙げる可能性のある障害者を積極的に軍に登用することを決める。タカシは軍の広告塔となりマスコミで一躍英雄になる。富も名誉も手に入れる。
 有名なアイドルと浮き名を流すタカシ。だが本当の愛は得られない。
 「僕に障害があるからなのか?」と問いつめるタカシに、「あなたのそういう考え方がいやなの」と告げられる。そして、追い打ちをかけるように、テレビの報道で、敵国もドローン部隊を編成したことを知る。そのパイロットはやはり障害者。そのパイロットが障害者になった戦いこそ、タカシが英雄になった戦いだったのだ。ここで、今風に「憎悪の連鎖が終わりなき戦いを生む」という視点もクリア。
 絶望して心を病んだタカシは、墜ちた英雄(おお、ここでイカロスと一致した)として世間から忘れ去られる。そんな彼を救ってくれたものこそマリアの変わらぬ愛情だった。

 ここで、読者の皆さんはこのBLOGでかつて書いた、「主人公に業を背負わせ、ラストでそれに落とし前をつける」(※1)という言葉を思い出していただきたい。登場人物を掘り下げるということは、まさに「背負わせる業と、その落とし前」を考えることなのである。今回のように複数の登場人物のエピソードが絡み合う構成(※2)では、それぞれの人物に「業と落とし前」を用意してやりたい。次回は、ほかの人物たちを考えていこう。お楽しみに。
 ※1 脚本家・笠原和夫氏の言葉だったと思うが、記憶あいまいである。
 ※2 作者の心の中では、すでに、この作品は「神視点の三人称」で書くことが決まっている。
 

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by hajime_kuri | 2015-02-21 22:20 | 小説指南 | Comments(0)

日常における文章修業

 今回は、文章を書いていく上での訓練について。
 作品内のシーンを書いている時に、「適切な言葉が出てこないのです」、という声をいただいた。

 普段から描写力を磨く方法として次のようなものがある。

 日常生活で出会ったちょっといい風景や光景を、その都度、心の中で文章にしてみる癖をつけるのだ。
 その際、その光景で感じた気持ちを人に語る上で、どのような順番で叙述すべきかを考えて、脳内で推敲するのである。その文章は別にテキスト化する必要はない。ただ、その脳内作業の過程はしっかりと記憶される。私の場合は、そのような文章を日記に残しておいたり、人に読ますだけの価値のある文の場合はBLOGでコンテンツ化している。

 また、この作業のよいところは、観察力が磨かれることである。

 例えば、雨が降り始めたシーンを書く場合。

 昼過ぎから雲が出てきていたが、日没前には、ぽつぽつと雨が降り始めた。


 だけで終わらせずに、その光景を描写してほしい。

・降り始めた雨に、小走りで帰路を急ぐ通勤者
・塗れたアスファルトに、客待ちのタクシーの行列の赤い尾灯や、ネオンの灯が映っている様子
・雨の湿りを帯びた空気のにおい
・曇るメガネ
 など、その場面をリアルに伝える光景はいくらでも浮かぶ。

 ただ、この日常の脳内文章化作業で注意してほしいことがある。

 「陳腐な表現を使わない」ということだ。

 特に文章を書き慣れた高齢者、特に自分は文章が上手だと思いこんでいる方に多いのが、この「手垢の付いた表現の多用」である。

広い草原や雲海を見ると、必ず「絨毯を広げたように」と表現し、心に迫る感動は「怒濤のように」と表現してしまう。
 素人のエッセイや、自分史であれば許されるかもしれないが、小説を書くと決めた作家は、このような「手垢の付いた表現」は使ってはいけない。恥をかいてしまう。

 また、地の文での故事成語の多用も表現を陳腐にする。
 思い上がった井の中の蛙のような登場人物を、作者が地の文で、夜郎自大な人物である、と語るのではなく、別の人物に、「夜郎自大な奴だな」と言わせればいいのだ。

 また、さきほどの「手垢の付いた表現」も、登場人物に語らせるのならOKである。その場合、その人物の凡庸さを表現する一つの手法として言わせるのである。
 凡庸なのは登場人物だけで十分。作者まで凡庸になる必要はないわけである。

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by hajime_kuri | 2015-02-15 22:29 | 小説指南 | Comments(0)
 さて前回、私は、障害者も健常者とともに戦争に参加できる状況としてのドローン部隊を考えた。そこにドラマを盛り込むために考えたのが、次のキャラクターだ。
 幼少期に事故に遭い、下半身が不随となり車いすで生活する青年・タカシ。「健常者には僕たちの気持ちはわかりっこない」が口癖。屈折している。しかし、軍のドローン部隊の遠隔操縦パイロットとして採用され、「自由に飛べる翼を得た」「周囲から一人前の軍人として扱われる」という体験から、自信をつけアイデンティティーを確立していく。しかし、ラスト近く、自分が英雄として賞賛されたその任務で、敵国の少年が自分と同じ障害者になっていたことをテレビニュースで知り愕然とする。
 タカシと対比させるために次のようなキャラも考えた。戦場で受けた傷で障害者になったパイロットのケンジ。その腕を買われてドローンパイロットとして再び戦争に参加させられた男である。彼は戦争の前線を知っているため軍務に対してはニヒルな認識である。
 さらに、次のようなキャラも考えた。ゲームマニアのように任務にのめり込んだ青年・アキラ。人間は音や光の刺激に達成感や勝利感で分泌される脳内快感物質が条件づけられると一種の中毒になることがわかっている。まあ、パチンコやスロットがいい例だ。アキラは戦闘中毒になっってしまうのだ。
 戦闘で体を損なったケンジと対比させる、戦闘で心を損なったアキラという構図。
 さらに、タカシを支えるボランティアの少女・マリアという存在を考えた。彼女は、タカシが社会に出て自立していく力と支えになったものが、自分たちの支援や愛情ではなく、殺人ドローンと戦闘任務であることに打ちのめされてしまう。
 軍は、戦争遂行の為に、障害者の兵士・タカシを英雄化する。何とも皮肉な物語ではないか。
 最後に、任務に飲み込まれることなく、冷徹に見つめていたケンジこそが、この物語の語り手であることが読者にわかる。

 こうして、ドローンを使った戦争状況のなかで描くべきドラマが決まった。後は、彼らの心がそれぞれのゴールに到達するためのエピソードを考え、シーンを思い描き、それを文章で描写すれば、作品ができあがる。
 これが、私の小説の作り方だ。

 前提条件として、
 ・社会現象やニュースなどに常にアンテナを張る。
 ・過去の作品群を知っていて、発想や設定が重ならないかを判断できる。
 ・正邪、善悪などの見方が、一面的ではない。むしろ皮肉で意地の悪い見かたをすることができる。
 などの、日常の知見の蓄積や、考え方の修練が重要だと言うことがわかると思う。
 でも心配はいらない。小説を書きたいと思うみなさんにとって、この「日常の知見の蓄積や、考え方の修練」は楽しくて仕方がないものだという事がわかっているからだ。

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by hajime_kuri | 2015-02-02 19:43 | 小説指南 | Comments(2)
 今回は二回にわたり、実際に物語を着想してから膨らませていく過程を、実際にストーリーを作りながら解説していく。
ドラマや映画の原作を作っている的な感覚でお読みいただければわかりやすいと思う。すべての作家がこうしているとは言わないが、少なくとも私の方法はこうだ。

 きっかけは、イラクの戦場での、アメリカ軍の無人機(以降はドローンと表記)の運用部隊の話を見たことだ。
 戦場でのドローンは、プログラミングされて偵察任務に就くだけでなく、遠隔操作でテロリストを攻撃殺傷もする。ただ、その遠隔操作はアメリカ本土の兵士がPCのモニターを見てコントローラー(映像ではPSのコントローラーだった)で行う。
 まさにテレビゲームなのである。中東の砂漠でアメリカと戦う兵士は、ポテトチップを食べながらコーラを飲んでコントローラーを操るアメリカ兵に撃たれているわけで、そりゃあ腹も立つよなと思えるわけだ。
 戦争のゲーム化は古典的なSFのテーマであり、たくさんの小説や映画があるので珍しくもないが、それがここまであからさまであることに私は驚いたわけだ。

 ただ、この驚きだけでは、もう物語にはならないのが現代である。
 最初に考えたのは、リアルなオンラインフライトシューティングゲームだと思ってログインしてプレイしていたら、実際に地球の反対側で自分の操るドローンが人を殺していた、という「罪悪感を希薄化させるためのゲーム化」というストーリー。
 しかし、これは、過去にいくつも同じようなSF物語があり、今では普通の人の発想の範囲内である。わざわざ「小説家の俺が、新たに書くまでもない物語だよな」と思えたので、即却下。

 今度は、通常なら入隊検査や兵役検査で跳ねられるような人間でも任務に就けるし、9時から17時まで、昼休みもしっかりとって雨にも濡れずに出きるデスクワークの任務でありながら戦闘という最前線の業務という視点で考えた。

 すると、「このドローン部隊の戦闘って、障害者の方でも、健常者と一緒にできる任務だよな」と気づいた。
 そこで、私の頭に花火のように浮かんだ発想が、「障害者の自立支援・社会参加」「職場のバリアフリー化」といった「美しい理想」が、「戦争行為、破壊・殺傷行為」という「醜い現実」を支えるという、極めて皮肉な物語構造だ。

 ここで私は、この物語はいける、と直感した。障害者も健常者とともに戦争に参加できる状況にどのような物語を盛り込むか?
 次回はキャラクター設定に入っていく。

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by hajime_kuri | 2015-02-02 19:35 | 小説指南 | Comments(0)

 小説内で描くキャラクターの心は、すべて作家の想像である。男も女も子供も大人も、場合によっては人間以外の生物ですらすべて作家の脳内の産物だ。だからこそ、作家は他人の気持ちを想像できる能力が必要なのである。
 常々感じていることがある。この他人の心を想像する力が、今の日本では衰えているのではないか?

 さて、桑田佳祐氏である。昨年の紅白歌合戦の曲を中継される前のパフォーマンスで、紫綬褒章をジーンズの尻ポケットから取り出してオークションにかけるような発言をした、として大きな非難を受けている。

 桑田氏は私の二歳年上のはずで、あの年代の人の天皇制や保守政党に対する感覚、平和観は理解できるし、一部共有もしていた(←過去形・苦笑)。だから私は、桑田氏が「叙勲を拒否」していればなんら問題はなかったと思う。叙勲をした上で、あのパフォーマンスは無いだろうと思うのだ。

 そもそも日本人にとって叙勲とはどのようなものなのか。
 私の父は七十七歳で他界したが、晩年は公立高校の校長を務めていたので、死後ではあるが、瑞宝小綬賞を受けている。母は、父と一緒に苦労してきたので、その叙勲をことのほか喜んだ。「父さんの人生が報われた」とまで言った。よほどうれしかったのか、会う人毎に「叙勲、叙勲」と話すので、私は「先生がすべて叙勲するわけではない、大多数の人は叙勲とは無縁の人生を送っている。嫌みになるから、こちらから叙勲の話をするな」と少し手厳しい忠告をしたほどである。母も父も学校の教員で、いわゆる「リベラル」だった人である。その母にとってすら叙勲とは特別なことなのである。

 桑田氏が尻ポケットから出した勲章を、母は額装してテレビモニターの横のサイドボードに飾っている。そのテレビで、桑田氏の振る舞いを聞いた時、母は小さくため息をついた。
 権威を小馬鹿にするポーズを取って、アーチストとして受けを狙ったのであろう。だが、それは、名声とも富とも無縁に、社会に貢献する人生を送ってきた、無名の市井の叙勲者たちの人生そのものを小馬鹿にしていることになると、なぜ気づかなかっただろう。

 これは桑田氏だけの問題ではない。1970年代、平和を訴え自衛隊を違憲と主張する知識人・教員・芸術家たちの振る舞いは、自衛官の家族、特に子供たちがどのような気持ちになるかという想像力を欠いたものだった。

 体制に反対する知識人・ジャーナリスト・マスコミ・芸術家達に共通するのは、「目覚めている自分たちが、だまされている大衆を啓蒙してやる」という上から目線の傲慢さである。それが、他人の気持ちを想像する力の欠如につながっているのではないか。

 野党に票が入らないのは、投票率や選挙区の問題だけでなく、「リベラル」の傲慢さに対して多くの国民が反感を持っているからであると気づいてほしい。

 私は桑田氏の音楽が嫌いではないし才能も認めている。ただ、富と名声を得た彼が、無名の市井の日本人の感覚とは遠いところに立っていることがわかり、残念な気持ちになった。

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by hajime_kuri | 2015-01-13 19:41 | 小説指南 | Comments(0)

作品の中に象徴を入れる

 今回は作劇におけるテクニックの一つとして、「象徴となるものを入れる」ということを説明しよう。
 最初に例に上げるのは、映画「リトル・ミス・サンシャイン」。これは、2006年のアメリカ映画で、第79回のアカデミー脚本賞を獲得している。

 大まかなプロットは、以下のようなもの。ニューメキシコに住む家族の物語である。末娘のオリーブが西海岸で開催される「リトルミスサンシャイン・コンテストへの出場資格を得る。大喜びの彼女を出場させてやりたい、しかし費用その他の問題があり。父さんの運転する車で行くしかない。それで、止むなく家族全員がワゴン車でカリフォルニアまで旅をすることになるのである。

 家族は一人ずつそれぞれ夢や悩み(ゲイである、とか空軍に入りたいとか)を抱えている。旅の途中はトラブルの連続だ。まず、彼らの乗る黄色いワゴン車が故障してギアがセカンドからしか入らなくなる。発進するためには、家族全員で車を押して、速度を上げてからギアをつないで飛び乗るしかない。古い車で部品が届くのを待っていてはコンテストは終わってしまうから、彼らはその車で旅を続けるのだ。
 旅の間に、家族の一人一人が自分の問題に直面して、それに打ちのめされることになる。そのたびに家族の(主に末娘オリーブの無邪気さ)優しさに癒されていく。旅の最後では、そのオリーブにピンチが訪れるが、家族が全員で彼女を守る。結果的に家族全員の夢はすべて破れるのだが、家族達は旅の前よりもお互いを理解し絆が深まっていることを知る、というお話だ。

 この作品の中では、「ギアの壊れた黄色いワゴン車」が、家族の象徴として機能していることに気づく。最初は文句を言って車を押していた家族達だが、ラストシーンで「さあ、家へ帰るぞ」と車を押すときには、息もぴったりのチームワークで車を押して飛び乗っていく。
 「みんなで力を合わせなければ、動くこともままならない車」の物語は、「みんなで力を合わせれば壊れた車で旅すら可能だ」という物語として幕を下ろすのだ。

 この「象徴」は、車のようなモノだけではない。次に例に上げるのは、最近の作品「永遠の0」。この作品では、主人公の祖父・宮部という戦闘機パイロットが「日本」という国家の象徴として描かれている。
 「臆病者、卑怯者」と言われた祖父・宮部の話を関係者に聞いて回る主人公が、やがてその真実の姿を知るという物語だ。このストーリーには、戦後の教育で作者の百田氏や同世代の私が習った太平洋戦争史観が、その後の読書体験などから、決して公平なものではなく、ある種のバイアスのかかった歪なモノではなかったのかと気づく過程が重ねられている。
 作者の百田氏は、この作品では「戦争」を描きつつ「戦後」を語っているのである。
 このような語り方を可能にするのも「象徴」である。

 「象徴」をうまく利用すると作品自体の印象が読者の心の中によく残るようになる。
 実はこのような手法は小説や映画にとどまらず、広報宣伝やマーケティングなどにも利用されている。元・広告マンの私が言うのだから間違いない。ただ、私の在職中には、そのような仕事には、縁がなかったけどね(苦笑)。

 みなさんも自分の作品の中で「象徴」となるモノを意識してみては。

リトル・ミス・サンシャイン [DVD]
永遠の0 (講談社文庫)

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by hajime_kuri | 2014-11-24 12:51 | 小説指南 | Comments(0)

作品に新機軸を盛り込む

 小説を発想するとき、過去の作品、自分の好きな作品から影響を受けることが多い。むしろ大半がそれかもしれない。
 しかし、それが模倣や剽窃ではなくオリジナル作品として成立するためには、必ず「新機軸」や「新発想」がなければならない。イノベーションである。

 吸血鬼・ヴァンパイアをモチーフにした作品を例に取ろう。
 吸血鬼を題材にした最初期の作品は、誰もが知っている、ブラム・ストーカーの「吸血鬼ドラキュラ」とシェリダン・レ・ファニュの「吸血鬼カーミラ」である。
 ドラキュラは吸血鬼の強力で邪悪な力と戦う物語で、「恐怖」を主軸に描かれる。「カーミラ」は魅力的な女吸血鬼を登場させ、同性愛的なエロスを描いている。この恐怖とエロスが長い間、吸血鬼小説の題材であった。

 そこに新機軸を持ち込んだのが、リチャード・マシスンのアイ・アム・レジェンド (ハヤカワ文庫NV)旧題「地球最後の男」(1964)である。謎の伝染病で人類がすべて吸血鬼になってしまった世界で、唯一普通の人間として生き延びている男の戦いを描いたもので、「ヴァンパイアの伝染性を社会の同調圧力などの暗喩としても使えることを示唆」した作品である。
 この作品の延長線上に登場したのが、スティーブン・キングの傑作「呪われた町」(1975)。アメリカのメイン州にあるセイラムズ・ロットという田舎町で、住人達が一人また一人と吸血鬼に成っていき、最後は町全体が吸血鬼の町になっていく様を描いた作品である。「地球最後の男」に、街の人間が一人また一人と宇宙人に変わっていくという、ジャック・フィニイの「盗まれた街」を合体させたわけだ。

 いっぽう「カーミラ」の方はどうか。こちらは恐怖よりはエロスや愛を描いている。後に続く作家達は吸血鬼の力よりは、「不死」という側面をとらえ、「永遠」を描こうという作品を生んでいった。その代表にして傑作の一つが萩尾望都の「ポーの一族」であろう。少年と少女として永遠に生き続ける主人公達が出会う愛のエピソード。また不死だからこそやってくる愛する人たちとの永遠の別れ。この「不死故の悲しみ」が新機軸である。
 この作品の延長線上に登場するのが、ルイス・ガネットの「700年の薔薇」(1999)とかステファニー・メイヤーの「トワイライトシリーズ」だ。

 そして、キングの「呪われた町」から生み出された傑作が小野不由美の「屍鬼」(1998)だ。彼女自身が「呪われた町」に対するトリビュート作品であると語っている。
 まだ土葬の習慣が残る人口1300人の外場村。この村の住民が一人また一人と吸血鬼に変わっていく様を描いた作品である。「呪われた町」と同じじゃないかと思われるだろうが、この作品にはやはり新機軸が持ち込まれている。
 吸血鬼とは、昼間は活動ができず、日の光で死んでしまい、食料も入手しにくい血液である。つまり吸血鬼を守る人間の僕が不可欠なのである。その僕になる人間はどんな気持ちからそうなるのだろうか。これを描ききったところが凡百の吸血鬼モノと「屍鬼」との違いである。
 これと同じものに活劇要素を加えた傑作が、真崎 建三の「貧血症気味の薔薇ーアネミックローズ」(1996)である。この作品の主人公は美貌の女吸血鬼を守る青年で、「屍鬼」にも影響を与えたのではないかと推測している。

 世に溢れる吸血鬼物語だが、作家達が過去の作品をなぞりながら、いかにして新機軸(イノベーション)を盛り込んでいったかがおわかりいただけただろうか。
 実は、私も吸血鬼もの作品を構想中である。当然、私独自の新機軸も盛り込むつもりで、それが無ければ書こうとは思わない。12月から友人達と、「電子パブ」という電子書籍の無料PR誌を配布予定だが、その3号から連載を予定している。

 小説を書こうとされる方。「こういう話は、散々書き尽くされているからなあ」と怯んではいないだろうか?
 大丈夫、書き尽くされた物語は、それだけ人気があるという事だ。誰も考えなかった新機軸を盛り込めれば、必ず新しい作品になるのである。 

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作者・栗林元は小説を書いています。よろしければお読みください。(Kindle版です)
不死の宴 第一部 終戦編
人生はボンクラ映画・西森元
1988 獣の歌/他1編・栗林元
神様の立候補/ヒーローで行こう!・栗林元
盂蘭盆会●●●参り(うらぼんえふせじまいり)他2編・栗林元

薔薇の刺青(タトゥー)/自転車の夏・栗林元
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by hajime_kuri | 2014-11-16 12:46 | 小説指南 | Comments(0)

人間を描くとは

 小説を書き始めて最初の頃は、おもしろいストーリー、新奇で斬新な物語の舞台や世界観などにこだわっていた。誰も考えたことがない、誰も読んだことのない作品が書きたいわけである。
 何作か作品を書いて、作者としての視点が育ってくると、他人の作品を読んでいても作者としての目で読むようになる。
 やがて私の興味は、そのストーリーを通して、主人公や登場人物の心がどう変わっていくかということに変わっていった。
 この登場人物の心の成長や気づきが、物語に「ああおもしろかった」以上の、余韻を与えることに気づいたのだ。そして、エンタメ小説に共通する「公式」や「お約束」がわかってきた。
 プロットとエンディングで例を上げてみよう。

・打算と利害でチームを組んだメンバーが宝を手に入れるために冒険に挑む。
 エンディング。宝を手に入れることには失敗したが、冒険を通してチームに芽生えた友情こそが本当の宝であることに気づいた。
 この変形としては、親友同志が同じミッションに挑んで、宝は手に入れたが、本当の宝である友情を失った、という喪失感で話を終えるとかがある。

・大切な人を殺された復讐をする。
 エンディング。復讐には成功したが、そこには何の満足感もなくむなしさだけが残った。
 こちらの変形としては、復讐はできなかったが、許すことによって相手は自分の本当の非を悟って自滅するとかがある。

・ばらばらの家族、その一人一人が挫折と悲しみを体験する。
 エンディング。一人一人がつらい思いをしたが、家族が力を合わせることで家族の絆は深まった。
 この典型的な物語は、私の大好きな映画「リトル・ミス・サンシャイン」だ。

 また、同様の「お約束」としては、主人公に一つ弱点を作り、物語を通してその弱点を克服させるということもある。この弱点は色々あり、「~恐怖症」とか「劣等感」とかを設定しておいて、それを克服しないとミッションが終了しないように物語を進めるわけである。

 昔のシナリオ作家の方などは、これを「主人公には業を背負わせて、ラストでそれに落とし前をつける」と言うように表現されたと聞いたが、言い得て妙とはこのことだと合点した覚えがある。

 このようなキャラクターの心の軌跡は、読者や観客がだれでも経験があることなので、それだけに共感して感動できる。
 ただ、これをうまくやらないと、単なる冒険小説につまらんメロドラマを持ち込みやがって、と反感を買うことになる。
 すべては、さじ加減なのである。

 文学作品においては、この人間の心の動きそのものが主題になってくる。いかにして、主人公は気持ちに決着をつけたのか、この主人公をさいなむ気持ちの原因は何で、どうなるのか、と。それを描くためにストーリーができている。

 エンタメと文学作品は、人間の心を描くのは共通しても、アプローチの仕方が正反対という事なのだろう。

 こういった約束事を十分理解すると、はじめて、それから自由な作品を書けるようになる。もう名人と言っていいだろう。


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作者は小説を書いています。よろしければお読みください。(Kindle版です)

1988 獣の歌/他1編

神様の立候補/ヒーローで行こう!

盂蘭盆会●●●参り(うらぼんえふせじまいり)他2編
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by hajime_kuri | 2014-11-03 10:43 | 小説指南 | Comments(0)